こんにちは!
産婦人科医やっきーです!
突然ですが、2023年4月28日公開の大ヒット映画『劇場版TOKYO MER~走る緊急救命室~』を観てきました。
物語として面白いだけでなく、妊婦さんの急変シーンが登場するなど産婦人科医目線で見ても興味深かったので、
普段はマンガばかり解説している当ブログですが今回は少し趣向を変えて「産婦人科医は映画も観る」として、劇中に登場する医療描写を解説していきたいと思います。
なお、ストーリーのネタバレは最低限にとどめますが、医療シーンに関連するネタバレは避けられませんので、未視聴の方はご注意下さい。
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あらすじ
都知事直轄の救命チーム【TOKYO MER】は、車内に最新の医療機器と手術室を搭載した「走る緊急救命室」です。
「MER」は「Mobile Emergency Room」の略で、そのまんまエムイーアールと読みます。
私は自信たっぷりに「東京マー」と呼んでいました
2021年に放送されたドラマ版では【TOKYO MER】の立ち上げが描写されましたが、
今回の劇場版では立ち上げから2年が経過したチームの活躍が描かれます。
この記事はストーリー解説が目的ではないので、ごく最低限の登場人物のみ紹介しましょう。
主人公は喜多見幸太。(演:鈴木亮平)
【TOKYO MER】のチーフドクターで、アメリカの医大を卒業し戦地での救命活動に従事していた経験を持つ凄腕の救急医師です。
ちなみに私は研修医時代、産婦人科医になるか救急医になるか悩んでいたので、彼を見ていると「救急医も良いよなあ」という気持ちがふつふつと湧き上がってきたりします。
そして喜多見の妻にして今回のキーパーソンとなるのが高輪千晶です。(演:仲里依紗)
彼女の行動はそこそこツッコミどころ満載なのですが(作劇上の都合の犠牲と思われます)、
そのへんは後ほど解説していきましょう。
スペースが余ったのでついでに私も紹介しておきます。
産婦人科医・やっきーと申します。
8歳になるまでシロクマに育てられたため、人語とクマ語を話せるバイリンガルとして活躍中です。
この特技は産婦人科医の仕事に全く活きないのが玉に瑕です。
飛行機事故
それでは映画本編の解説に参りましょう。
まずは冒頭のシーン。
空港に不時着した飛行機内に多数の乗客が取り残されていました。
おそらく不時着時の衝撃でしょうか、打撲傷を負っている乗客も多数いる模様です。
そこに喜多見率いるTOKYO MERメンバーがやってきて、飛行機内の乗客たちをトリアージしていきます。
トリアージ
ここで「トリアージ」という概念について簡単に説明しておきましょう。
こういった大規模災害においては「緊急度の高い人から順番に対応する」という判断が必要になってきますので、
治療や搬送の優先順位が一目で分かるように「トリアージタッグ」と呼ばれるこんな感じのタッグを患者さんの腕や足に付けます。
タッグの下の方に黒、赤、黄色、緑の札が付いてますね。
色と色の間は簡単にちぎれるようになっていて、すぐに処置しないとまずい人は赤、多少は時間の猶予がある人は黄色、ただちに生命の危険がない人は緑、既に死亡している人は黒で色分けがなされます。
このような「治療や搬送の優先度を決める作業」をトリアージと呼び、一目でこれを分かるようにするのがトリアージタッグの役割です。
緊張性気胸
そんなトリアージの最中、喜多見は飛行機内で意識のない少女を発見します。
ポータブル超音波で調べたところ、どうやら気胸を発症している模様。
(気胸とは肺の外に空気が溜まってしまう現象のことです)
喜多見はただちに胸腔ドレナージを行いました。あまり詳しくは語られていませんが、このスピード感から察するに緊張性気胸だと思われます。
緊張性気胸について詳しく説明するとそれだけで1記事書けてしまうので詳細は割愛しますが、
「緊張性気胸」は肺の外に空気が溜まる「気胸」の中でも特に危険な状態で、肺の外に溜まった空気によって心臓が押しつぶされ、心臓が止まりかねません。
そんなわけでただちに胸腔ドレナージ(胸に穴を開けてチューブを通し、溜まった空気を抜く)をする必要があったわけですね。
外傷性腹腔内出血
そんなわけで飛行機内の乗客を全員外に運び出すことができ、一件落着…
と思いきや、CAさんが突然倒れます。
喜多見が彼女にエコーを当ててみると大量の腹水。
血圧も低下しており、腹部外傷による重症ショックと診断されます。
要するにお腹の中の臓器や血管がちぎれて、お腹の中で出血している状態(外傷性腹腔内出血)ですね。
腹腔内出血は非常にまずい状態です。
飛行機事故や交通事故などの高エネルギー外傷が生じた場合、明らかにどっか折れてるとか血が出てるとかなら診断もつけやすいのですが、
お腹の血管が損傷し、見た目には何とも無さそうだが実はお腹の中で出血がじわじわと出続けていて気付いた時には手遅れということが起きうるので、「腹腔内出血」は非常に危険です。
失った血液を補充し、止血をしなければあっという間に死亡します。
そこでメンバーはただちにMER車内での開腹手術を断行。
喜多見は手術中、「重症肝損傷と膵尾脾から出血してます」と発言しています。
要するに肝臓だけではなく、膵臓と脾臓のつなぎ目あたりからも出血していることが予想されます。(膵臓と脾臓はお腹の中でくっついています)
肝損傷・脾損傷ともに大量出血しやすいのでこれは止血が最優先ですね。
膵損傷なら消化液が漏れ出て二次的な影響が出ることが懸念されますが、劇中の描写から察するに主膵管(消化液の通り道)は無事だったものと思われます。
喜多見たちは脾動静脈と肝門部の血管(脾臓と肝臓に通じている大きな血管)を遮断するなどして急場を凌ぎつつ傷を縫合し、
何とかCAさんを生還させることに成功しました。
ちなみに手術が終わった後、MERのスタッフが「死者は……ゼロです!!!」と言って現場が喜んでましたが、
他の人はともかくこのCAさんに関しては感染症などで急変する可能性が普通にある状況なので気が早いと思います。
横浜ランドマークタワー火災
上記の飛行機事故のあと、喜多見の妻・高輪千晶は妊娠後期にもかかわらず、
仕事ばかりで家庭を顧みない喜多見に愛想を尽かして横浜の実家に帰ると言い出します。なんでやねん。
TOKYO MERのチーフドクターがあれだけの大災害を放ったらかして家に帰ってたら私ならそっちの方が問題だと思いますが。
そもそもTOKYO MERは都知事の政治家人生を懸けたプロジェクトなわけですから、
喜多見レベルの救急医師をせめてもう1人、できれば2~3人は配備してきちんとローテーションで休ませてあげるべきではあるのですが。
とはいえ、よく考えると医療の現場では「このドクターが突然病気とかになったら詰むけどまあ何とかなるっしょ!!!」でギリギリの運営を迫られている例は山ほどあります。
私の知人の〇〇先生とか、△△病院の◇◇先生とか。うっ頭が…
それはさておき、妊娠週数に関する名言は(この時点で)ありませんがけっこうお腹の目立つ妊娠後期ですよね。
そんな時期に唐突に東京から横浜に里帰りなんてしたら妊婦健診先や分娩予約はどうするつもりなのでしょうか。
もし私が高輪千晶の産婦人科主治医であったならメチャクチャ慌てますし、
横浜の産婦人科からしても急に「今からお前んとこで産むわ、診ろ」と言われたら医者のくせに何考えてんだ事案になりますね。
そもそも千晶は心臓外科の名医として知られる医者なわけですから、救急医としての本分を尽くしている喜多見に対して理解くらいは示してあげても良いのではないでしょうか。
下行大動脈損傷
まあそんな感じで千晶に文句を言っていたら話が進まないので一旦置いておきましょう。
その後はTOKYO MER統括官の音羽が元カノとイチャイチャしてたりしますがそこも割愛。
そんな中、横浜ランドマークタワーで大規模火災が発生しました。
現場に到着したTOKYO MERメンバーがトリアージを行っていると、危険な状態の患者さんを発見します。
駆けつけた喜多見により「下行大動脈損傷による大量血胸」と診断されました。
「下行大動脈」というのは心臓から出た血液がお腹や足に向かう時の通り道の役割を持つ血管です。
体の中におけるめちゃくちゃデカくて太い動脈を「大動脈」と呼びますが(正確ではないです)、
これが外傷によって裂けてしまうことがあるわけですね。
これを「外傷性大動脈損傷」と呼び、死亡率の高い重篤な外傷です。ただちに治療しなければなりません。
そこに来たのが音羽の元カノ率いるライバルのYOKOHAMA MERチーム。
YOKOHAMA MERの車内にはなんと血管造影(アンギオ)の設備があるので、「こちらで引き取った方が良い」と半ば患者さんを奪い取られる形になりました。
なお、血管造影の設備は病院内でもそれ専用の部屋が必要なレベルです。
参考までに、京都大学病院の血管造影室はこんなの↓です。
これを車内に搭載するとなると精密なレントゲンの機械やX線が車外に漏れないようにする設計が必要になるのでYOKOHAMA MERには死ぬほど金がかかっていることが予想されます。
他人の患者さんを奪い取るとは何て奴らだと思いきや、そこは流石のYOKOHAMA MER。
なんと大腿動脈アプローチによる大動脈ステントグラフト留置術と血胸ドレナージを5分で終了させます。かなり超人的なスピードです。
これなら確かにYOKOHAMA MERが引き取った方が患者さんにとって良かったでしょうね。
「俺らはエリート集団だからTOKYO MERは引っ込んでろ」(意訳)と言うのも納得できるっちゃできます。
ちなみに外傷性大動脈損傷の半数以上は大動脈峡部(上の画像の「大動脈弓」あたり)に起きます。
劇中で写っている血管造影の画像を見る限り、大動脈峡部あたりで造影剤のリークが起こっているように見受けられますので、下行大動脈損傷というより大動脈峡部損傷という方が適切かもしれません。
頭部外傷
一方その頃、横浜ランドマークタワーの中層階以上に残った人たちは展望台に避難していました。
その中には妊婦である千晶もいました。まあそりゃいるわな、映画だもの。
そんな中、火の手が迫ってきたことで展望台に残された人々がパニックを起こし将棋倒しになってしまいました。
千晶と看護師の夏梅は将棋倒しになった人たちを素早く診察。
どうやら重傷者はいなさそうです…
と思ったところに、孫をかばったおばあちゃんが突然倒れてしまいました。
千晶が駆けつけて素早く診察をすると、頭部外傷・骨盤動揺・左大腿部腫脹・血圧低下・瞳孔不同が確認できました。
このおばあちゃんが恐らく今回の事件における最重症者の一人ですので、少し深堀りして見ていきましょう。
まずは「瞳孔不同」ですね。これは「瞳孔左右差あり」などと呼ばれたりもします。
人間は暗い所では瞳孔をしっかり開いて光を集め、明るい所では瞳孔を閉じて眩しくならないように自動で調節する機能が備わっています。
日常生活において右目は暗いけど左目だけ眩しいという状況は基本的に存在しないので、原則として瞳孔の大きさは左右で同じはずです。
この瞳孔の大きさが左右で違うということは、「眼球自体の異常」「瞳孔を調節する神経の異常」「脳の異常」のどれかが疑われます。
その後、喜多見が到着するとおばあちゃんの頭に穿頭ドリル(頭蓋穿骨器)で穴を開け、血腫を取り除いていました。
ということは、おばあちゃんは頭部外傷に伴って頭蓋骨と脳の間に血が溜まる病気、つまり「急性硬膜外血腫」または「急性硬膜下血腫」を発症していたと思われます。
どちらも放置すると脳が圧迫されて死に至ります。(正確には生命維持に必要な「脳幹」が圧迫され機能を失います)
なお、この時使っていたドリルは昔ながらの手回し式ですね。
最近は電動ドリルが主流になりつつありますが、おそらく喜多見は電池などの機械トラブルを避けるために手回し式を採用しているのでしょう。
これにより喜多見は「穿頭血腫ドレナージ術」と呼ばれる手技を完遂しました。
骨盤骨折
次に「骨盤の動揺」です。
千晶はおばあちゃんの腰や太ももを触診し、「骨盤の動揺」「左大腿骨の腫脹」と診断しました。
その後、千晶と夏梅は手近にある布を使って骨盤ラッピングを行いました。
骨盤ラッピングとは「シーツラッピング」とも呼ばれ、骨盤の骨折が疑われる際に骨盤部の安定をはかるために行われる手技ですね。
喜多見が前述の穿頭血腫ドレナージ術を済ませて階下に搬送している最中、このおばあちゃんは血圧が低下していました。
これらを踏まえるとおばあちゃんは大量出血を伴う骨盤骨折を併発していた可能性が高いですね。
さて、一般の方にはなじみが薄いかと思いますが、実は骨盤骨折はメチャクチャ怖い骨折のひとつです。
なぜなら骨盤には大きな血管がたくさん通っていますので、骨盤骨折は骨盤の中で大出血することがあるのです。
しかもその出血は内出血(見た目だけでは分からず、CTや超音波による検査が必要)なので、診断の遅れが命取りになりかねません。
我々医療者としては、交通事故などの怪我人を診る場合に早めに押さえるべきポイントとして優先度の高い骨折と言えるでしょう。
AED
順番は前後しますが、このおばあちゃんは倒れた直後に心肺停止となってしまいました。
そして千晶(妊婦)はすぐにおばあちゃんに心臓マッサージを決行。
一緒にいた看護師の夏梅がAEDをおばあちゃんに取り付けて、ショックをかけました。
ちょっと待てお前ら逆だろ。
なんで妊婦さんが心臓マッサージしてるのさ。
確かに心臓マッサージは一刻を争う処置ですし、意外に難易度が高い手技なので一般人に任せるには不安があります。
しかし正しい心臓マッサージは2~3分やるだけでも結構疲れる、全身を使った運動であり、妊婦さんが行うのはなかなかリスクが高い医療行為です。
他にできる人が居ないならともかく、夏梅は外科病棟の副看護師長です。あんたなら正しい心臓マッサージできるやろ。
どう考えても夏梅が心臓マッサージを、妊婦である千晶がAEDを操作すべき状況です。
このあと千晶がそこそこ大変な事態になった原因の2割くらいは夏梅にあると思います。
余談ですが、AEDは衣類を開いて貼り付けなければならない関係上、女性に行うのはちょっと抵抗がいるかもしれません。
SNSなどで「AEDを使って女性から訴えられた」という話を聞いたことがある人もいるでしょう。
しかしこれは大元になった発信者がデマであると公言していますし、弁護士の見解としても「AEDの使用は強制わいせつ罪にあたらない」「AEDを使って訴訟されたケースは無い」としています。(参考:【弁護士に聞いてみた】AEDを使ってセクハラになる可能性ってありますか?)
心停止から5分経過すると脳に障害が残る可能性が高くなると言われています。
5分で救急車が到着できることの方が珍しいので、目の前の人命を救えるのはあなただけかもしれないのです。
倒れた人を見た場合、AEDの使用を躊躇してはいけません。
さて、おばあちゃんに話を戻しましょう。
夏梅がAEDでショックをかけても心拍が再開しませんでしたが、喜多見が到着。
心電図モニターを装着し、ルート(点滴)をとってアドレナリンを投与し、心室細動(VF)を確認。改めてショックをかけて心拍再開(ROSC)しました。
この流れはACLS(二次心肺蘇生法)のアルゴリズム通りで、非常に適切です。
AEDで1回ショックをかけても心拍が再開せず、何回か行ったのちに心拍再開するということはしばしばあります。
これは千晶が適切な心臓マッサージを行ったおかげでしょうね。
そこは褒められるのですが夏梅に関しては厳重注意ものです。
その後、DMATが到着したためおばあちゃんはYOKOHAMA MERに引き継ぐことができました。
DMATとは「災害派遣医療チーム/Disaster Medical Assistance Team」のことで、要するに災害時などにすぐ駆けつける医療チームです。
劇中ではDMATの派遣を官房長官が厚生労働大臣の頭越しに決定していましたが(厚労大臣は非協力的でした)、
実際にはDMATは厚生労働省の管轄なのでどういう指揮系統のもとに派遣していたのかは謎です。
心タンポナーデ、血胸
さて、喜多見を除くTOKYO MERメンバーは他の患者さんたちと共にタワーを下りていました。
そんな中で搬送患者さんの一人が心タンポナーデと血胸を発症しました。
心タンポナーデとは、心臓の周りに血液などが溜まってしまい、心臓がうまく動かせなくなる状態のことです。
もちろん心臓がうまく動かせない状態のまま放置すると死にます。
血胸は肺などが損傷することで胸の中に血が溜まってしまう状態ですね。
TOKYO MERメンバーの弦巻は周りに火の手が上がる中、消毒薬を胸にドバッとかけてただちに開胸術を行いました。
いくら緊急性が高いと言ってもその状況で開胸するか?と思わなくもありませんが、とにかく胸を開いて血腫と心のう液を除去します。
しかし開胸部からの出血が止まりませんでした。
どうやらこの患者さんは心臓の手術歴があり、ワーファリン(血が固まりにくくなる薬)を内服している模様。
こうなると止血はメチャクチャ難しくなります。
弦巻はハイラーツイストを行いますが、それでも血が止まりません。
劇中では全く描写されていませんが、ハイラーツイスト(Hilar Twist)はメチャクチャ緊急性の高い時に行う最後の手段的な手技です。
これは胸の中で肺を180度回転させて肺の血流を遮断し止血するという荒業で、ドラマ『コードブルー』でも行われていましたね。
しかし、これでも出血は止まりませんでした。
もはや救命は絶望的…と思われたところに、タワーの外で待機していた研修医の潮見が颯爽と現れ、薬を差し出しました。
「PCCとフィブリン製剤です!!」
思わぬ助けにTOKYO MERチームは安堵します。
今回の場合、ワーファリンの血が固まりにくくなる作用のせいで出血が増えているわけですから、それを何とかして食い止めたいところです。
そこで出てくるのがワーファリンの拮抗薬であるPCC=プロトロンビン複合体製剤(ケイセントラ®など)ですね。
1バイアルで6万5千円くらいしますが人命には代えられません。
フィブリン製剤(フィブリノゲン製剤)も欲しいところです。
フィブリノゲン製剤とは、人の血液の中から血を固めるのに必要な成分を抽出して作ったお薬ですね。
これも1バイアルで5万円くらいしますが使用を躊躇している場合ではないでしょう。
このあたりのお薬で出血を何とか抑えて、タワーの外で輸血をしっかりすればこの患者さんを救える可能性はかなり高くなります。
劇中でも潮見が持ってきたPCC・フィブリン製剤により止血が行われ、緊急手術を終えることができました。
千晶の経過
そんなわけでついに本題の千晶の経過についてです。
私は産婦人科医なので、一番気になるのも妊婦である千晶の経過だったわけですが、
なんて長い前置きだったんでしょう。
まず、基本的事項の確認として千晶の妊娠週数が非常に気になるところですが、
喜多見が千晶のことをインカムで「妊娠32週目の妊婦が取り残されています 切迫早産の徴候がみられ動けない状態です」とチームに情報共有していました。
正期産は37週以降なので、もし32週で出産となった場合は早産になります。
これは後で出てくるので覚えておきましょう。
さて、千晶がおばあちゃんに心臓マッサージをしたあとお腹を押さえて苦しむ描写がありました。
夏梅のせいですね。
その後、なんやかんやあって千晶が一人でいたところ、爆風に吹き飛ばされました。
直接打ったのは体の背中のようですがかなり危険な状況です。
妊娠中の高エネルギー外傷は「常位胎盤早期剝離」を発症するリスクがありますからね。
常位胎盤早期剝離
ギリギリのところで喜多見が千晶のもとに駆け付けますが、千晶はお腹をメチャクチャ痛がっていました。
ここまでの状況を踏まえると常位胎盤早期剝離か、最悪のケースとしては子宮破裂も視野に入る状態です。
2人の周囲には燃え盛る障害物が大量にありました。
痛みで一歩も動けない千晶は、喜多見に対し「赤ちゃんと逃げて」と告げて帝王切開を要求し、喜多見にメスを手渡します。
そんな無茶な。
もし私が同じ状況で妻からメスを手渡されても帝王切開はしません。
そもそも一人ですし(助手がいない)、帝王切開用の道具も無いでしょうし、
何より32週だと赤ちゃんがうまく自力で呼吸できない可能性があります。
この場合、赤ちゃん用の呼吸補助器具がなければ完璧にお手上げなので、むしろここで帝王切開する方が赤ちゃんにとって危険です。
母体の命を考えても、赤ちゃんの命を考えてもここで帝王切開をするという選択肢は100%ありません。
奇跡的に帝王切開がうまくいって赤ちゃんの命が助かったとしても、閉腹にかかる時間を考えると千晶は死ぬしかありませんからね。
喜多見もさすがにそう思ったのか、メスを投げ捨てます。
いや捨てるなや。何か他の処置に使えるかもしれないのに。
喜多見は2人の周囲にあった障害物をどかして(さっきやれよ)その場を立ち去ろうとしますが、
運悪くロッカーが倒れてきて喜多見の足を挟んでしまいます。
喜多見の意識も朦朧とする中(一酸化炭素中毒?)、ギリギリのところで音羽らTOKYO MERメンバーが駆けつけてくれました。
MERメンバーがポータブル超音波で千晶を診察したところ、「外傷性腹腔内出血」と「胎児一過性徐脈が出ています」と発言します。
これは明確に医療描写のミスだと思われます。
腹腔内出血はともかく、胎児一過性徐脈は少なくとも2~3分くらい診てないと診断できません。
それに一過性徐脈は超音波ではなく胎児心拍数モニタリング(下図)で診断するのが基本です。
おそらく、ここで言いたかったのは「胎児徐脈」でしょうね。
お腹の中の赤ちゃんは1分間にだいたい110~160回くらいの心拍数なのですが、
赤ちゃんに何らかのストレスがかかっていると心拍数が低下します。
この状況を「胎児徐脈」と呼び、(エコーでちょっと見ただけでは正確な診断はできませんが)赤ちゃんに危険が迫っていることを示唆する所見ですね。
緊急開腹止血術と帝王切開
その後、千晶はYOKOHAMA MERの車内に運ばれ、緊急手術が始まります。
この時「腹腔内出血および常位胎盤早期剥離に対して緊急開腹止血術と帝王切開を行います」と宣言されます。
ということで、胎児徐脈の原因は常位胎盤早期剝離で間違いなさそうです。
発症からの時間経過や爆風のエネルギーを考えるとかなり危険な状況だと思われます。
帝王切開により赤ちゃんは産まれましたが、「心拍60の仮死状態」と言われます。
産まれた赤ちゃんの心拍数が60bpmしかないのはメチャクチャ危険な状態です。
MERメンバーが赤ちゃんに心臓マッサージと人工呼吸を施します。
きちんとNCPR(新生児蘇生法)のアルゴリズム通り、心臓マッサージ3回と人工呼吸1回の適切な処置ですね。
一方その頃、母体である千晶も死線をさまよっていました。
喜多見が「総腸骨動静脈の分枝損傷を確認」と発言します。
「総腸骨」というのは「総腸骨動脈」または「総腸骨静脈」のことでしょう。
どちらもめっちゃ太い血管なので、損傷すると大量に出血します。
喜多見らによる懸命な救命処置が続けられますが、ついに千晶の心臓が止まってしまいました。
心電図は無脈性電気活動(PEA)を示し、喜多見による心臓マッサージがただちに行われます。
(PEA:心臓の電気の動きだけはあるけど心臓の筋肉が動いていない状態)
その後、心電図モニターを確認すると心室細動(VF)だったため除細動(電気ショック)が行われます。
アドレナリン投与も行われるなど、ACLS(二次救命処置)のアルゴリズム通りですね。
同時に音羽は輸血をポンピング投与します。
「ポンピング」とは、簡単に言えば輸血や輸液をものすごいスピードで投与する手技のことです。
通常は点滴の液がポタポタ垂れる速さを見て点滴の速度を調節するのですが、
今回のように大量出血している場合は手動で急速に輸血を送り込む必要があります。
心室細動(VF)に対し2回の除細動が行われましたが、
その次の心電図モニターは心静止(Asystole)を示していました。
心室細動(VF)は除細動(電気ショック)によって心拍が再開する可能性がそれなりにありますが、
心静止(Asystole)は除細動をかけても意味がない状態です。
もちろん全例がこの限りではないのですが、VFに比べてAsystoleは心拍再開の見込みがかなり薄いです。
千晶は最初にPEAが確認されたあと、4回のパルスチェックがVF⇒VF⇒Asystole⇒Asystoleだったので相当厳しい状態であると言わざるを得ません。
それを見た音羽はポンピングの手を止めます。いや何やってんねん。
確かに救命率が決して高いとはいえない状況ですが、パルスチェックが4回行われたということは千晶の心臓が止まってからまだ8分ほどしか経っていません。
30分や1時間くらい蘇生を続けてもダメなら諦める気持ちも分かりますが、ここで救命を諦めたら助かるものも助かりません。
V-A ECMO
ここで喜多見は「V-A ECMOの体外循環でダメージコントロール手術に切り替えましょう」と宣言します。
新型コロナウイルスで有名になったECMOですが、コロナのような重症肺炎の時などに使われるECMOは「V-V ECMO」と呼ばれるものです。
これは簡単に言えば肺の機能を代わりに果たしてくれる機械ですね。
これに対し、喜多見が行おうとしているのは「V-A ECMO」です。
要するに心臓と肺の機能を代わりに果たしてくれる機械です。
それにしても血管造影設備や早産児の蘇生器具のみならずV-A ECMOの機材まで積んであるYOKOHAMA MERの車は何なの?ドラえもんのポケットか何かなの?
どう安く見積もっても一台作るのに数億円かかってますが、いくら厚生労働大臣の肝入りとはいえ大盤振る舞いが過ぎる。
こんな走る税金をTOKYO MERのように無茶な現場で運用して、ぶっ壊れでもしたら修理のたびに数千万円が吹き飛ぶので、
厚労大臣が「YOKOHAMA MERは安全なところに居ろ」(意訳)と言っていたのも分かる気がします。
そう考えるとなんだか公務員の哀愁を感じます。
話を戻して「V-A ECMOの体外循環でダメージコントロール手術に切り替えましょう」というのは、
「出血しすぎてて心臓が動く気配が無いから、V-A ECMOに心臓の代わりをしばらくやってもらってその間に出血を止めよう」といった感じのニュアンスです。
これはかなりの最終手段ではありますが、もはや他に取れる手段は無いでしょうから止むを得ませんね。
ただ、総腸骨動脈も総腸骨静脈も妊娠子宮の真後ろにあるのでメチャクチャ見づらいと思います。
出血コントロールは相当に難しそう。
そんな中、5回目のパルスチェックでもAsystoleでした。もはや救命は絶望的…
と思ったところで車内に赤ちゃんの泣き声が響きます。
本来なら感動の場面だと思いますし、映画館でも周囲の方々が泣いていらしたのですが、
私の中の産婦人科脳が「肺の成熟してない32週の赤ちゃんが突然こんな大きい泣き声あげるんかいな」と感動を邪魔してきました。
ここは名場面なんだ!! この俺が産婦人科医だからちくしょう!!
と言いたくなるところですが、まあ作劇上の都合を考えて良しとしましょう。
なんて嫌な客だ。
赤ちゃんの泣き声が耳に届いたためか、千晶もAsystoleから突然、正常脈に回復。うそやん。
麻酔を担当していた冬木が「血圧70に回復!」と叫びます。
ここで言う血圧とは収縮期血圧(いわゆる上の血圧)ですね。
これが70mmHgなら、バッチリとまでは言えませんが最低限命は繋げる数字です。
その間に止血と十分な輸血をすれば救命は可能と言えるでしょう。
特に根拠のない私の肌感覚で恐縮ですが、常位胎盤早期剝離+大量出血中の心肺停止でVF2回⇒Asystole3回だと蘇生できる確率は10%にも満たないと思います。そのくらい厳しい状況です。
何にせよ母児ともに無事で何よりでした。
あとは、最後に災害対策チームが「死者は……ゼロです!!!」と言って現場が歓喜に沸いていましたが、
頭蓋内出血のおばあちゃんと心タンポナーデのおっちゃんと千晶の3人に関しては急変して数時間~数日後に死亡する可能性も普通にある状況なので気が早いと思います。
まとめ
というわけで、本日はいつもと趣向を変えた特別編「産婦人科医は映画も観る」をお届けしました。
普段私は漫画ばっかり読んでいるのでアニメにもドラマにも映画にも疎いのですが、ご好評を頂ければまたやってみようかなと思う次第です。
なお、この記事はあくまで産婦人科医脳全開で観た感想ですが、実際の本編は素晴らしく良質なエンタメに仕上がっています。
私のような面倒くさい鑑賞法をしなければメチャクチャ面白い映画でした。
ちなみにこの記事、劇場公開時(2023年)は映画館で観ながら必死で取ったメモをもとに執筆したのですが、
現在はなんとAmazonで配信されており、Amazon Primeでは30日間のお試し無料期間中にタダで観れます。
個人的に非常におすすめできる医療映画ですので、この機会にどうぞご覧ください。私のようにセリフを何回も聴き直すという視聴法も有りです
(画像をクリックでサイトに飛べます)
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
以下、関連記事です。
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「男女の産み分けってできるの?」「逆子って直せるの?」「マーガリンは体に悪いの?」などの記事を基本無料で公開しておりますので、こちらもお楽しみください。
けど千晶の行動にツッコミどころ満載なのは視点関係ないと思われるが……
質問箱どこかわからんのでこちらで。
鬼滅の刃の時透無一郎の話。
右手首先の欠損からの(体格的に生存は絶望的)という独白の真偽、髪による止血の有効性などなど
ネタにしていただけると幸いです
見所は上半身だけで「万力の如き膂力」を発揮した意志の強さでしょうか
横浜市の産婦人科医です。
この映画、気にはなっていたのですが、上映期間中に映画館に行けませんでした。
配信等で見れば字幕もつきそうですね。
是非見てみたいです。
ここのコメントでランドマーク近辺の産科救急体制について暴露しようかと一瞬思ったのですが、先生にご迷惑かかりそうなのでやめておきます。
他県にお住まいの妊婦さん、横浜への観光や旅行はおすすめできません。
桜木町みなとみらい様、お読み頂きありがとうございます。
私もこの映画は字幕付きでもう一度観直してみたいと思いますので、そのタイミングで追記するかもしれません。
ランドマーク近辺の産科救急体制…非常に興味がありますので、もしお時間がありましたらお問い合わせフォームからこっそりご教示頂けると幸いです笑
死亡者…ゼロです!
というお決まりのセリフに気が早いというツッコミが冷静に入っていて笑いました。
医療漫画大好きでMERも見ていたので、先生の解説とても面白いです。
切迫早産の傾向あり32週で実家に帰り、横浜でお友達と一緒にお出掛け♪
というのが信じられなくて、そこから真剣に見ていられなくなりました…
解説とてもわかりやすく興味深かったです!