こんにちは!
産婦人科医やっきーです!
本日の【漫画描写で学ぶ産婦人科】は、野田サトル先生『ゴールデンカムイ』よりインカㇻマッの出産に関するエピソードです。
『ゴールデンカムイ』とは日露戦争を経験した元陸軍兵・杉元佐一とアイヌの美少女・アシㇼパの2人を軸とした、アイヌの埋蔵金を巡る物語です。
2010~2020年代の漫画界を代表する名作ですね。
互いの利害により敵と味方が頻繁に入れ替わる複雑な人間模様、
合間で挟まれるアイヌ民族の伝統的な文化や狩猟の紹介、食欲をそそる食事描写の数々、
そして物語の本筋を見失いそうになる程に異常に濃いキャラクター達による掛け合いもまた『ゴールデンカムイ』の魅力です。
さて、『ゴールデンカムイ』劇中でインカㇻマッの出産シーンが描写されるのですが、これが産婦人科医の目線だとなかなか興味深い描写なのです。
というわけで本日はインカㇻマッの出産に関する解説と、出産時の「回旋異常」という概念についてお話ししていきましょう。
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ゴールデンカムイ
登場人物紹介
今回の考察の題材となるのはアイヌの女性インカㇻマッと、すけべ過ぎるマタギこと谷垣源次郎です。
埋蔵金の手がかりを追う杉元一行は、旅の途中で釧路に立ち寄りました。
谷垣とインカㇻマッが二人で話していたところ、現地の老人がラッコの肉を手渡します。
「おれはひとり者だからこれを食べてはいけない」とのこと。
インカㇻマッは赤面し、そそくさと植物の採集に向かいます。
谷垣が二人の行動を訝しんでいると、遠くから黒い雲のようなものが現れました。
それは大量発生したバッタが手当たり次第に植物や食料を食べて移動する、いわゆる「蝗害」でした。
たまらず杉元たちは近くの番屋(宿泊所)に避難します。
当面の危機は脱したものの番屋から出ることもできず、空腹に襲われます。
そこで一同は、谷垣が手にしているラッコの肉を鍋にして食べました。
ところが、ラッコ鍋には欲情を刺激する作用があったのです。
杉元たち(全員男)は欲情にかられ、もはや辛抱たまらない状態です。
興奮を抑えられない屈強な男たちが密室で行うことといえばひとつしかありません。
相撲です。
掲載誌はヤングジャンプですので、これはどこからどう見ても相撲ですね。
そして取り組みが終わった頃にはバッタの群れも去っており、
冷静になった一同は三々五々、番屋をあとにしました。
取り組みの疲労のために番屋で一人で寝ていた谷垣のもとにインカㇻマッが訪れます。
以前からお互いに惹かれていたインカㇻマッと谷垣は、ラッコ鍋を口実にウコチャヌㇷ゚コㇿもとい情交に及びました。
妊娠・出産
そして時は経ち、網走や樺太への旅を経て情勢はさらに複雑化します。
第七師団の鶴見中尉は埋蔵金の情報を得るため、谷垣を使ってアシㇼパへの接触を試みます。
しかし谷垣はここまでの激しい戦いの末、金塊争奪戦から降りることを決めていました。
そこで鶴見中尉は、インカㇻマッが谷垣との子供を妊娠していること、
インカㇻマッの身柄を押さえていることを告げます。
そして谷垣へ「インカㇻマッを解放する代わりにアシㇼパを奪還せよ」という脅迫に近い命令を下します。
谷垣は悩んだ末、鶴見中尉への協力を拒み、インカㇻマッを直接助け出すことにしました。
追手の月島軍曹や鯉登少尉らを振り切りインカㇻマッを馬に乗せて逃げ出す谷垣ですが、
道中でインカㇻマッは破水してしまいました。
幸いにも近くに親交のあったフチ(アシㇼパの祖母)の家があったため、
そこに匿ってもらいつつインカㇻマッの出産をフチに託します。
フチは百戦錬磨のイコインカㇻマッ、つまり産婆さんだといいます。
フチは骨盤の大きさから女の子であることを確認しました。
アイヌにおいて、赤ちゃんが女の子である場合は仰向けで出産しないと長生きしないとされているようです。
娩出中に胎児を回転させる技術「ケマコキル」を駆使しつつ、
赤ちゃんは無事に仰向けで出産しました。
アイヌの出産について
それでは、インカㇻマッの出産について解説していきましょう。
『ゴールデンカムイ』はアイヌ文化に関する徹底的な取材に基づいた作品であり、
こうした手技や助産術は実際に存在するもののようです。
1998年に出版された『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録』にもそれらの技術が収録されているようですが、
こちらの本は2024年現在Amazonで中古本の最安値が約1万円と、なかなかのお値段です。
昔の出産文化を知る上ですごく勉強になりそうなので、いずれ読んでみたいものですね。
赤ちゃんの性別
アイヌではこのようにお腹の上から骨盤の大きさを判断し、赤ちゃんの性別を判別するという手法があるようですが、
断言しますが私には無理です。
胎児や新生児の時点で男女差は殆ど無く、唯一外見上で判別できるのは外性器だけです。
要するに、赤ちゃんの股間を見て「ついてるか」「ついてないか」でしか判断できません。
ぶっちゃけて言えば、エコーが無ければお手上げです。
たまにご年配の方などに「妊婦さんの顔が〇〇な感じだから、赤ちゃんは男の子ですね!」などと言い当てようとする方がいらっしゃいますが、もちろん医学的な根拠は全くありません。
4ケタ人数の妊婦さんと接してきた私ですが、エコーなしで赤ちゃんの性別を当てることは不可能です。
とはいえ、東洋医学などの世界には時として現代医学では考えもつかない技術を持つ方が居たり、
民間医療の中にも理にかなったものが一定数存在するのも事実です。
アイヌ文化の積み重ねと長い経験により、このようにして男女を区別する方法があっても不思議ではありません。
回旋異常について
さて、赤ちゃんが女の子だと分かった後に赤ちゃんを仰向けで娩出するという技術が描写されています。
実はこの手法は産婦人科医学的には全くお勧めできません。
まず、原則として赤ちゃんが産まれる瞬間というのはうつ伏せの姿勢で出てきます。
これは骨盤や赤ちゃんの頭の形の構造上、うつ伏せで出てくるのが最もスムーズになるようにできているのです。
ここで仰向けの出産について考えてみましょう。
産婦人科医学的に仰向けの出産は「回旋異常」と呼ばれる状態のひとつです。
回旋異常が起こると、産道や新生児の人体構造上どうしても難産になりやすいのです。
当然ですが、難産は母体や赤ちゃんにとって負担です。
そのため、我々産婦人科医は「回旋異常」になりそうな時にうつ伏せで出てくるよう誘導することはあります(これがアイヌで言う「ケマコキル」ですね)が、あまり成功率は高くありません。
そもそも赤ちゃんが正しい向き(うつ伏せ)なのをわざわざ難産になりやすい向き(仰向け)に変えようとすること自体があり得ません。
アイヌの伝統文化を尊重しているという前提での話ですが、
あくまでも現在の産婦人科医学に基づいて考えると、赤ちゃんはうつ伏せで出てくるようにした方が良いのです。
ともかく、こうしてインカㇻマッは無事に出産を終えました。
谷垣もゴールデンカムイ名物の汚い笑顔で祝福をします。
まとめ
さて、『ゴールデンカムイ』インカㇻマッの出産、アイヌの助産術に関する考察はいかがでしたか?
繰り返しますが、私はアイヌの助産術を否定するつもりはありません。
我々人類は、エビデンスを積み重ねるという方法で医学についてかなり多くのことを探求してきましたが、それでも分からないことはまだまだ沢山あります。
妊娠・出産はその最たるものです。
このアイヌの助産術が見直される日も、いつか来るかもしれませんね。
特にこの、産道の消毒薬と潤滑剤を兼ねられるラスパカㇷ゚は私もお産の時に欲しいくらいです。
『ゴールデンカムイ』はこのように名シーンあり、迷シーンあり、飯テロありとジェットコースターのような展開が止め処なく押し寄せてきます。
未読の方は是非ご一読をお勧めします。
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