こんにちは!
産婦人科医やっきーです!
本日の【漫画描写で学ぶ産婦人科】は、『ヴィンランド・サガ』よりアルネイズの死因に関する考察です。
ついにこの神作品を考察する日がやってきました。
(好きな作品のたびにこれを言っている気がしますが)
『ヴィンランド・サガ』におけるストーリー上最重要イベントのひとつにアルネイズの死亡がありますが、
このアルネイズの死因について産婦人科医学的に考えていくと、さりげない描写の裏にアルネイズの母としての愛が隠されていることが分かります。
今回はそんなアルネイズの死亡について徹底的に考えていきましょう。
なお、この記事のタイトルでそこそこネタバレしてしまってはいますが、
本記事内ではアルネイズ周りの話についてネタバレを大いに含みますので、未読の方はご注意をお願いします。
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ヴィンランド・サガ
『ヴィンランド・サガ』といえば、『プラネテス』を代表作とする天才漫画家・幸村誠先生による作品で、
中世ヨーロッパ時代に各地を荒らし回った恐怖の存在「ヴァイキング」、すなわち「海賊」にスポットを当てた漫画です。
あの超有名少年漫画に出てくる「海賊」と違い、こっちの「海賊」は青年漫画なのでガチのやつです。(ヴィンランド・サガも最初期のみ少年漫画雑誌に連載されていましたが)
史実通り民間人を襲うわ犯すわ殺すわ、メチャクチャな略奪行為をします。
と、ここだけを聞くと野蛮な男達による凄惨な漫画のように思われそうですが、
この漫画はそんな海賊団に所属させられた主人公・トルフィンが「本当の戦士」へ成長するための冒険譚を描いた、
まさしく「人間賛歌」と言っても過言ではない大傑作なのです。
2023年5月現在で連載中の作品に限れば、私の好きな漫画ベスト3に確実に入ります。
あらすじ
舞台は11世紀のヨーロッパ、主人公はアイスランド出身の少年・トルフィン。
かつて実在した商人で探検家のソルフィン・カルルセヴニ・ソルザルソンがモデルとなっていますが、その出自はものすごく脚色されています。
彼は少年時代に海賊団に所属していましたが、紆余曲折を経て海賊団は解散。
トルフィンは奴隷の身に堕とされ、ケティル農場に農奴として引き取られました。
そんなトルフィンとほぼ同時期に農場に引き取られたのが、
イングランド人の奴隷・エイナルです。
トルフィンとエイナルの主人であるケティルは、家に代々伝わる農場を大きく発展させた大地主でありながら、
トルフィン達に自由身分を買い取るための方策を与えるなど、物分かりが良く温和な考え方の持ち主です。
しかしながら、現代の価値観からするとほぼ無法地帯に近いような中世ヨーロッパにおいて莫大な財産を得ることには相応のリスクもあるわけで、農場を大きくし過ぎたが故の苦悩も抱えていました。
そんなケティルが唯一心を許している人間が、愛人のアルネイズでした。
アルネイズは気品のある美人ですが、実はトルフィンらと同じく奴隷の女性でした。
アルネイズは元々、夫や子供を持つ一般人でしたが、ヴァイキングの略奪により全てを奪われ、
奴隷商人に売り飛ばされたのちにケティルに買われたという経緯があります。
トルフィンとエイナルは自由を買い戻すために懸命に働いていましたが、
ある出来事をきっかけにクヌート王(のちのイングランド・デンマーク・ノルウェーの王であるクヌート1世)によりケティル農場が丸ごと接収されそうになる事件が起きます。
懸命に築いた土地や財産を無慈悲に奪われるという事態にケティルは乱心。
それは奇しくもアルネイズがケティルとの子供を身籠ったことが判明した直後でした。
さらに、間の悪いことにアルネイズが逃亡未遂を起こした(実際は違うが傍からはそうとしか思えない)ことでケティルの精神は崩壊します。
身重のアルネイズに対しケティルは自ら棒打ちの罰を与え、
アルネイズは意識不明の重体になりました。
翌日、一瞬だけ目を覚ましたアルネイズでしたが、
それは薄れゆく意識の中でトルフィンとエイナルに別れを告げるためでした。
夫と死別し、子供は奴隷商人に取り上げられ、お腹の赤ちゃんも亡くなったことを察し、
もはやアルネイズにとって生きることに希望は無く、やがて息を引き取ります。
トルフィンはアルネイズに心臓マッサージを施しますが、息を吹き返すことはありませんでした。
そんなアルネイズの死がトルフィンとエイナルにある決断をさせました。
それは、ヴァイキングの支配の届かない最果ての地・ヴィンランドに、戦争も奴隷もない平和な国を作るというものでした。
この壮絶かつ壮大なプロローグを経て、ここからタイトル通りの『ヴィンランド・サガ』が始まっていくのです。
アルネイズに関する考察
うーん、感動的な話です。
平和な暮らしを一方的に奪われ、奴隷となった後に悲運の死を遂げたアルネイズはまさにヴァイキング時代の被害者の代表と言っても良い人物です。
そんな彼女の死はトルフィン・エイナルにとって「平和な国を作る」という途方もない夢のきっかけとなったわけですね。
というわけで、ここからが本題です。
アルネイズの死因について産婦人科医学的に考えてみましょう。
病状経過
まずはアルネイズの病状経過を詳しく見ていきます。
彼女は自らの妊娠を「つい先日わかりました」と話しました。
見たところお腹が目立つ週数ではなさそうですし、作中で描写されている限りつわり症状もなさそうです。
具体的にどういった理由で妊娠が判明したのかは不明ですが、「つい先日」という言葉からすると少なくとも妊娠初期である可能性が高いと言えるでしょう。
アルネイズの逃亡未遂事件が発生したのは、彼女が妊娠を打ち明けた日の翌日です。
劇中の描写からして、逃亡未遂事件から棒打ちの刑を受けるまでの日数はごく短いものと思われます(推定0~2日)。
したがって、ケティルから棒打ちの刑を受けたのも妊娠初期ということになりますね。
精神が崩壊したケティルが与えた棒打ちの刑は相当に苛烈なものだったらしく、
その様子を見ていた農場の護衛者・蛇が「これ以上殴れば死刑になる」と制止するほどでした。
蛇は作中でもトップクラスの戦闘力を有する実力者であり、彼の見立ては正確と見て良いでしょう。
ケティルは彼女の左側腹部を一突きしたほか、左肩や頭にも一撃ずつ与えたことが描写されています。
以降は省略されていますが、効果音の数からして計8発以上の打撲傷を与えたことは確実のようです。
その後のアルネイズは顔中にひどい打撲傷がみられ、頭と右目には包帯が巻かれています。
亡くなる寸前の様子から、首の左側や左手・右手・右腕にも打撲傷が確認できます。
アルネイズは受傷直後から意識を失い、そこから一晩が経過してもなお意識は戻りませんでしたが、
一瞬だけ目を覚ましてトルフィン・エイナルに別れを告げたのちに彼女は死去しました。
以上を踏まえると、アルネイズの病状経過は「全身に打撲傷を受けたのちに意識を失い、翌日に死去した」ということになります。
意識障害の原因
病状経過が分かったところで、アルネイズが受けた外傷について考えてみます。
ここで医学的にきわめて重要な症状のひとつが、アルネイズが意識を失っていることです。
救急医学において、外傷による意識障害を診断する場合は大きく分けて5つの原因を考えます。
・A、Bの異常
⇒低酸素血症・高/低二酸化炭素血症(呼吸がおかしい)
・Cの異常
⇒循環障害(血の巡りが悪い)
・Dの異常
⇒頭蓋内病変(脳に何かが起きている)
・Eの異常
⇒低体温、高体温(体温がおかしい)
・その他
⇒薬物中毒や基礎疾患によるもの
(参考:JATEC(外傷初期診療)ガイドライン第4章「外傷と意識障害」)
「Eの異常」および「その他」にあたる部分は病状経過からしてほぼ確実に除外できるので一旦無視して良いでしょう。
これらの事実を踏まえつつ、アルネイズの直接死因について推定していきます。
「妊娠初期の全身打撲」「意識不明」「ほぼ無治療で一晩だけ生存」「臨終で意識が回復」という4つの病状経過を満たす状況が果たして存在するのでしょうか?
可能性①:常位胎盤早期剝離
妊娠中にお腹に衝撃が加わるのは良くないこと、という認識は誰もが持っているものだと思います。
では、具体的にどういった理由によるものかと言いますと、
一番の理由が常位胎盤早期剝離、通称「早剥」です。
赤ちゃんにとっての命綱であるところの胎盤が産まれる前に剥がれてしまうという、母児ともに命の危険となる代表的な産婦人科疾患のひとつですね。
そしてこの早剥はさまざまな原因で起こりうるものですが、
そのうちの一つが腹部外傷というわけですね。
もしアルネイズに早剥が起こったと考えれば、腹部外傷をきっかけに発症、母児ともに亡くなったという経過に合致するように見えます。
しかし、この早剥が起こるのは基本的に妊娠中期以降、早くとも22週以降とされています。
アルネイズの週数が明言されていないので何とも言えませんが、
さすがに妊娠22週(約6か月)くらいになるまで妊娠に全く気付かず「つい先日わかりました」というのは考えにくいところ。
(産婦人科医をやっていると、たま~~~にそうやって来る妊婦さんにも会いますが)
以上より、常位胎盤早期剝離の線は否定はできないものの可能性としては低そうです。
可能性②:子宮破裂
妊娠中の子宮は通常よりも大きく、かつ柔らかくなっているため、強い衝撃が加わると子宮自体が損傷してしまう可能性があります。
こうした状況を「子宮破裂」と呼びます。
そして、妊娠中の子宮が破裂するというのはとんでもなく重大な状況です。
妊娠中の子宮は赤ちゃんを育てるために大量の血液が巡っていますので、それが破裂するとなると大量出血を起こします。
子宮破裂は母体死亡の原因となる疾患の一つですし、腹部外傷によって子宮破裂が起こり、アルネイズの命が奪われた…と考えると筋は通りそうです。
子宮破裂のほとんどは分娩中や妊娠後期に起こるため、妊娠初期に起こることは滅多にありませんが、
棒打ちの刑という現代ではまず考えられない状況が起こっていたことを踏まえると、この可能性も否定はできないところですね。
ちなみに妊娠中期でも交通外傷などによって起こった症例がいくつか報告されています。
しかしながら、アルネイズに子宮破裂が起こっていたというのもちょっと考えにくいです。
子宮破裂は非常に激しい腹痛を伴います。
いくら意識が無いとはいえ、アルネイズは咳き込むことができる程度の反射は残っている様子ですから、
もし子宮破裂と考えるなら、お腹を押さえるなり何らかの反応が出るはずです。
もう一つの根拠として、子宮破裂が起こると腹腔内に大量出血が起こるので、
その状態で一晩も命が持つとは考えにくいです。
以上より、子宮破裂の可能性も低いと思われます。
そもそもの話として、妊娠初期に子宮に強い衝撃が加わった場合、流産を起こすことはあっても母体死亡に繋がるケースは稀です。
メディカルオンラインで子宮破裂の症例を当たってみましたが、アルネイズの病状に類似した症例は見つけられませんでした。
(妊婦さんが亡くなるほどにお腹を強く殴るという状況自体が現代では考えにくいため、当たり前と言えば当たり前ですが…)
というわけで、ちょっと視点を変えて考えてみましょう。
可能性③:頭部外傷
では、頭部外傷という線はどうでしょうか?
アルネイズの顔中のひどい打撲傷や、頭・右目の包帯からは頭部外傷が示唆されます。
頭部に強い衝撃が加わると脳挫傷や急性硬膜外血腫・急性硬膜下血腫などを引き起こすため、死因となり得ます。
比較的軽いダメージ、例えば脳震盪などによっても意識障害をきたす可能性はあるのですが、
脳震盪の場合は15分以上にわたり意識障害が続く可能性は低いので、上に挙げたような致死的な脳損傷が起きている可能性は十分に考えられます。
救急医学ではこのような重篤な疾患が示唆される状態を、上に挙げた「Dの異常」の中でもさらに危険なものとして「切迫するD」と表現します。
「切迫するD」を疑う状況としては、例えばGCSが8点以下のとき(意識状態が非常に悪いとき)があります。
具体的な解説は割愛しますが、アルネイズの意識状態は推定でE1V2M4程度、つまりGCS7点前後だと思われるので「切迫するD」に該当する可能性がありますね。
そういえば、アルネイズは頭や顔だけでなく、手や腕にも無数の打撲傷がありました。
とすると、ケティルはアルネイズの手や腕を狙って殴ったのでしょうか?
しかし、そう考えるのは早計です。
錯乱したケティルはアルネイズに八つ当たりをしているに近いので、効率的にアルネイズを死に至らしめようとしているわけでもありませんし、命に障らない程度のケガで済ませてやろうという気もありません。
ただ殴りやすいところを殴っているにすぎません。
となると、横たわっているアルネイズが殴打されやすい場所は頭部や体幹であると想像できます。
しかし、赤ちゃんを身籠っているアルネイズはお腹だけは必死に守ろうとします。
つまり、アルネイズの手や腕の打撲傷はお腹の赤ちゃんを懸命に守ろうとした結果だと考えるのが自然ですね。
胸部や腹部への外傷からはある程度身を守れたとしても、頭部外傷は防ぐことができなかったと考えれば辻褄が合います。
以上より、アルネイズの直接死因は頭部外傷だと推測されます。
結論
以上より、予想される病状経過はこういった状況です。
お腹を一突きにされてしまったアルネイズは赤ちゃんを守るため、以降はひたすらケティルの折檻からお腹を守ることに専念しました。
しかし、当然ながら頭部への外傷に対しては全くのノーガードでした。
その結果がアルネイズの痛ましい包帯に表れています。
アルネイズが頭部に受けたダメージの中には、致死的な脳損傷(脳挫傷、急性硬膜下血腫、急性硬膜外血腫など)につながるものもありました。
その影響でアルネイズは意識不明となります。
上記のような致死的な脳損傷が進行すると「脳ヘルニア」と呼ばれる状況を経て、意識障害のみならず呼吸機能や心機能などの生命維持機能そのものが低下していきます。
ここまでくると心臓マッサージをいくら施したところで救命は絶望的です。
この状況で一瞬とはいえ意識を取り戻したというのは常識では考えにくいですが、そこはアルネイズの強靭な精神力によるものと考えるしかないでしょうね。
まとめ
一見すると見過ごしがちなアルネイズの頭部の包帯や腕のケガですが、こうして考えてみると医学的に整合性のとれたものだと分かります。
(どこまで意図したものかは不明ですが)幸村誠先生の漫画に対する徹底した作り込みが伺えます。
それにしても、こうして改めて考えてみると悲劇度が強調されますね。
アルネイズが頭部に致命的な怪我を負った要因のひとつは、お腹を守ることに専念したためと考えられます。
頭を守って体を丸める、いわゆる「ダンゴムシのポーズ」(地震の時などに有用です)を取っていれば致命傷は避けられたでしょう。
もちろん、それは母としての愛情の結果であって責められることでは全くないのですが、
もしアルネイズが妊娠していなければ、彼女がトルフィンやエイナルと共にヴィンランドを旅する未来もあったのかもしれない…
と考えると、何ともやるせない話ですね。
さて、記事を終わる前にもう一度繰り返しますが『ヴィンランド・サガ』は名作中の名作です。
そんな『ヴィンランド・サガ』の物語は今現在、最終章に突入しています。
一介の漫画読みとして、一人でも多くの方々に『ヴィンランド・サガ』を読んで頂ければ、
そしてこの素晴らしい物語の大団円を皆様と一緒に楽しむことができれば幸いです。
この作品の面白さと素晴らしさは私が自信をもって保証いたします。
ここまでお読み頂き、誠にありがとうございました。
以下、関連記事です。
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違うよ
アルネイズは咳をしており、意識が清明であったと考えると頭蓋内出血よりも胸部疾患が疑われる。
有力なのは血胸からの縦隔偏位で右心への静脈還流が阻害されてショックバイタルとなったもの
脳は正常だがら、血流の上下で昏睡と覚醒を起こす。
すべての条件を満たす。
一元的原因でないなら、肺は致命傷でなく、メインは心タンポナーデでやはり循環障害での意識障害とかも条件を満たす。
匿名さん、コメントありがとうございます。
考察がより深まるため、ご意見を頂けて非常に有難いです。
>咳について
唾液等が気管内に流入することによる咳嗽反射でも説明がつきますので、「咳=胸部疾患」と考えるのは早計かと思います。
そもそも咳をしている描写は1回だけですし、咳⇒胸部疾患⇒血胸、という考え方にも飛躍を感じます。
>意識清明
意識が戻ったのは死去直前のごく僅かな時間のみです。
受傷後の状況はほぼJCS2~3ケタと考えるべきでしょう。
>右心への静脈還流の阻害によるショックバイタル
興味深い説ですが、その状態で一晩も命がもつでしょうか…
昏睡と覚醒を起こす、という点ではショックに伴う意識障害を考える必要がありますが、
意識障害を起こすほど循環動態が悪い状態のまま、一晩も命を保てる状況はちょっと想像しにくいですね。
その観点から胸部および腹部外傷を起点とする意識障害をほとんど除外しました。
見落としがあるかもしれませんので、さらなるご意見を頂けますと助かります。