こんにちは!
産婦人科医やっきーです!
突然ですが、皆様は赤坂アカ先生『かぐや様は告らせたい』はお好きですか?
大好きですよね。私もです。
ご存知でない方のために説明しますと、『かぐや様は告らせたい』(以下『かぐや様』)とは2015年より連載を開始した人気漫画です。
主人公は名門高校・秀知院学園生徒会長の白銀御行、
ヒロインは副会長の四宮かぐや。
2人は相思相愛にも関わらず、プライドの高さゆえに自分から告白することができないため、
「いかにして相手に告白させるか」「いかにして相手の自分への好意を露わにするか」という熾烈な恋愛頭脳戦が描かれます。
その圧倒的な面白さとキャラクターの魅力、何気ない描写が伏線となる巧みな展開により絶大な人気を博し、
2022年12月現在でスピンオフ漫画が2作連載され、テレビアニメは3期まで放送、実写映画が2作上映、さらにアニメ映画も制作中と、2010~2020年代を代表するラブコメの1つと言っても過言ではないでしょう。
そんな『かぐや様』ですが、ヤングジャンプ本誌では2022年11月2日に完結、12月19日に最終巻が発売されます。
さて、私はかねてから疑問に思っていたことがあります。
それは『かぐや様』名キャラクターの1人、田沼正造先生についてです。
17歳で子供を作りながらも日本を代表するほどの名医になった田沼正造先生。
彼がどのようにしてその立場を手にしたのか、それを考察してみると、あまりにも波乱万丈な彼の人生が見えてきました。
そこで今日は『かぐや様』完結を記念し、
田沼正造先生について考察してみましょう。
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田沼正造先生について
田沼正造先生が初登場したのは79話。
『世界の名医十選』に選ばれ、小児心臓バイパス手術の第一人者として知られるゴッドハンドと紹介されました。
その来歴は凄まじく、総理の心臓手術をも担当し、巨大財閥『四宮グループ』の総本山である四宮家のお抱え医師でもあります。
ヒロインの四宮かぐやの担当医でもあり、
79話では問診により彼女の病気を的確に診断する確かな診察眼が発揮されました。
田沼先生が次に現れたのは146話・147話。
生徒会室で意識を失ってしまった白銀会長の診察に名乗りを上げました。
そして今回も確かな診察眼で白銀の病気を看過。
さすがは『世界の名医十選』に選ばれるだけありますね。
この時、心労が重なった末に倒れてしまった白銀に対し、
田沼先生はストレスを和らげてあげるために自らの過去を話します。
そのついでに17歳で子供が出来たという事実を部下にバラされます。
田沼先生によると息子も17歳で出来ちゃった婚をし、孫も今年で17歳だそうです。
これが『かぐや様』ファンが俗に言う田沼家の「17歳の呪い」です。
この直後のコマで柏木さんとその彼氏・翼くんが描かれていることから、田沼先生の孫=翼くんであることが示唆されました。
ちなみにこの時点では、翼くんの情報は「医者の息子」「病院の跡継ぎ」といった断片的な情報しか描かれていませんでした。
そんな彼のフルネームが判明したのは180話、修学旅行編。
1巻から頻繁に登場していたキャラしてはフルネームの判明が異様に遅かったですが、
ともかくこれで「17歳の呪い」が翼くんに降りかかるのはほぼ確実となりました。
田沼正造先生と田沼翼くんの関係性がほぼ確定したところで、『かぐや様』におけるもう一人の田沼姓にも触れておきましょう。
彼は田沼尊彦。
かつてラーメン王と持て囃されたものの、寄る年波に勝てず一線を退きました。
現在では93歳にして毎日ラーメンを食するインスタグラマーであり、「ラーメン四天王」の一角として未だにラーメン界では絶大な知名度を誇っています。
彼が藤原書記と繰り広げた熾烈なラーメンバトルは今やラーメン界における語り草となっているのですが、
正直なところ彼と田沼正造を結びつける材料は劇中に全く無いので(苗字以外)、
今回の検証において田沼尊彦のことは特に考慮しません。
話を田沼先生に戻しましょう。
田沼先生が次に登場したのは252話。
彼は四宮家のお抱え医師であるため、かぐやの母・四宮名夜竹のことも良く知っているとのこと。
この時、田沼先生は白銀へ四宮家の事情を説明しました。
(ややこしくなるので個人情報保護法の話などは一旦置いておきます)
ここで医者の立場からみて疑問なのが、
田沼先生はどういう経緯で四宮家のお抱え医師になったのかという問題ですね。
そもそもお抱え医師という制度自体がまず実在しませんが(少なくとも私の周りには)、
日本有数の名家が直々にお抱えする医師になるとはただ事ではありません。
田沼正造は何者なのか
それでは、田沼先生の略歴を推定する上で手がかりになりそうな描写をまとめてみましょう。
まず、初登場時のこの回診風景。
明らかに『白い巨塔』を意識した総回診ですね。
やっきーの経験上、大学病院の教授回診は実際にこんな感じで行うことが多いです。
教授と、その横について補助を行う看護師長さんが先頭に立ち、
その後ろを准教授や講師、助教、ヒラの医局員、研修医、医学生と、要するに立場が上から順に付いて回ります。
(こうしなければならないというルールは無いため、教授の趣味によります)
その後も「教授」と呼ばれていることから、田沼先生は大学病院の教授と考えて間違いないでしょう。
私も大学病院教授という立場の方々とは多く関わってきましたが、
教授というのは最先端の技術や知識を持ったスペシャリストか、論文を書くことに生涯を捧げた人か、めちゃくちゃ人脈作りが上手い人か、めちゃくちゃ運が良い人か、めちゃくちゃ出世欲が強くて教授にさえなれるなら田舎の大学病院にでも行けるという人のどれか(やっきー調べ)であり、
例外なく全員(やっきー調べ)が恐ろしく優秀(やっきー調べ)かつ医者として尊敬に値する方々(やっきー調べ)です。
※これに関する質問は受け付けておりません。
小児心臓バイパス手術とは
それはさておき、「小児心臓バイパス手術の第一人者」という肩書きを考えると、恐らく田沼先生は「最先端の技術を持ったスペシャリスト」に該当する方なのでしょう。
ここで少し具体的なところに踏み込んでみましょう。
「小児心臓バイパス手術」とは何の手術を指しているのでしょうか?
バイパス手術というのは基本的に、冠動脈(心臓が自分自身に栄養を供給している血管)が途中で詰まったり狭くなった時に詰まったところを迂回する血管を作る手術のことを指します。
この手術を行うのはたいてい成人以降、もっと言えば中年以降に起きやすい病気「心筋梗塞」に対してです。
小児にこれを行う可能性のある数少ない疾患が、川崎病という全身の血管に炎症が起きる病気ですね。
川崎病では、ごくまれに冠動脈が狭窄する後遺症を生じてしまうことがあります。
この後遺症に対し、1967年に大伏在静脈(足の血管)などを利用したバイパス手術が開発されましたが、治療成績は今ひとつ良くありませんでした。
そこで、1986年からは内胸動脈(胸の血管)を使った改良型の手術が開発され、治療成績も向上したようです。
(参考:北村惣一朗「冠動脈バイパス手術:内胸動脈グラフトとの出会い」日本循環器学会専門医誌 循環器専門医第30巻 2021年)
日本では北村惣一朗先生が当時最先端であった小児の冠動脈バイパス手術を海外で学び、パイオニアとなりました。
おそらく、田沼正造先生は現実世界で言うところの北村惣一朗先生に近い立ち位置の先生なのでしょう。
ちなみに北村惣一朗先生の略歴はこちらに掲載されていますが、
1965年に大阪大学医学部を卒業された後、カリフォルニアでの留学経験を経て奈良県立医科大学教授に就任、さらに国立循環器病センター病院長を務められ、
2017年には日本学士院賞を授与されるなど、こんな木っ端ブログで取り上げるのも畏れ多いほどに輝かしい経歴をお持ちです。
世界の名医十選
さて、『世界の名医十選』のようなランキングを公式の医学会が出すことはまずありえません。
現実世界における『名医十選』的なものは、テレビや雑誌等が勝手に言っているものです。
なぜなら、細かな科を含めると60以上あるといわれる診療科から代表的な○○人を選ぶこと自体が困難を極めますし、選ばれなかった権威ある先生達からの反発も凄いことになることは間違いないからです。
これは、例えるなら「世界最高のプロスポーツ選手十選」を決めるようなものです。
野球なのかサッカーなのか陸上競技なのか、
野球の中でもピッチャーなのかバッターなのか大谷翔平なのか、
決める前に収集がつかなくなることは目に見えていますね。
それはさておき、実際にそういった『名医十選』的なものでよく取り上げられるのは手術の上手い外科医、いわゆるゴッドハンドでしょう。
日本で小児心臓外科におけるゴッドハンドとして知られる先生の一人が、佐野俊二先生です。
佐野俊二先生の略歴はこちらに掲載されていますが、33歳でニュージーランドへ留学された後、41歳という若さで岡山大学病院心臓血管外科の教授に就任されたという凄まじい出世の速さです。
極めて難しいとされる左心低形成症候群の手術成功率を3割から9割にまで高めたという佐野俊二先生は、まさしくゴッドハンドとお呼びするに相応しい方であり、
こんな正体不明の産婦人科医が取り上げるなど不敬罪になりかねないくらいの名医です。
名医十選に値する小児心臓外科のゴッドハンドにして小児心臓バイパス手術の第一人者と考えると、
田沼正造先生は佐野俊二先生と北村惣一朗先生を掛け合わせたような、
ギャグキャラになっているのがおかしいレベルの超絶名医であると言えるでしょう。
確実に医学の歴史に名を残すクラスの人です。
田沼先生の年齢
田沼先生について考察する上で欠かせないのが、田沼先生の年齢です。
17歳の時に産んだ子供が17歳で出来ちゃった婚をし、孫が17歳となると、
単純に考えれば17×3=51歳…
と、なりそうな話ですが、ことはそう単純ではありません。
例えば、田沼先生が17歳でできた第一子が女性だとして、その5年後に産まれた息子が17歳で子供を作ったとしたら?
この場合、田沼先生は56歳となりますが、この仮定でも作中の描写とは矛盾しません。
つまり、田沼先生の第一子が女性である可能性や、田沼翼に姉がいる可能性について言及されていない以上、田沼先生の年齢は「少なくとも51歳以上」としか推定できないのです。
そんな田沼先生の年齢を推定するもう1つの手がかりが、
かぐやが恋の病で運び込まれた時に発した「医者を30年やって」の一言ですね。
飛び級や海外で医者になった可能性を考慮しない場合、医者になれるのは最短で24歳なので、
田沼先生の年齢はだいたい54歳以上ということになります。
(医者歴が28年や29年でも「30年やって」と発言する可能性はあるのでだいたいとしました)
四宮家のお抱え医師
田沼先生の年齢をこれ以上推測することは困難ですので、別の描写からアプローチしてみましょう。
252話で四宮名夜竹の話をした時の描写を振り返ってみます。
かつて彼女が夜職をしていた頃、四宮家総帥・四宮雁庵の接客中に発作を起こした時にも田沼先生が診察をした様子ですし、
名夜竹がかぐやを出産し、病状が悪化した時にも田沼先生が担当しているようです。
名夜竹が亡くなったのはかぐやを産んでから29日後、つまり17年前であり、
かぐやを妊娠する前から名夜竹を担当していたということは少なくとも18年前の時点で四宮家の超VIP患者を任せられるレベルの医療技術を持っていたようです。
田沼正造の経歴を推測する
以上の事実を踏まえて考えると、田沼先生の壮大な人生が少しずつ見えてきました。
注:ここから先は全てやっきーの妄想です。
17歳~バイパス手術の習得まで
田沼先生は高校生時代に軽い気持ちで女の子と遊びまくった結果、17歳で第一子をもうけます。
普通、その状況で子供ができようものなら「大学に行かずに働く」という選択肢もありそうですが、田沼先生はそれを選びませんでした。
なんと医者になることを決意します。
いくら昔の大学の授業料が安かったとはいえ、医者になれる24歳までの7年間はアルバイトくらいしかできないわけです。
おそらく周囲からの反対は大きかったと思いますが、この判断が功を奏して日本を代表する名医になったわけですから、まさに高円寺のJ鈴木並の状況判断センスと言わざるを得ませんね。
実家からの経済的援助も多少はあったかもしれませんが、17歳の若さで妻と子供を養うために田沼先生は並々ならぬ努力をしたのでしょう。
医大での成績も上々で、医師になってからもその実力が評価されます。
その結果、研修医を修了して間もなく医局から海外留学の辞令を受け、最先端の小児心臓外科を勉強することになります。
上に紹介した佐野俊二先生と北村惣一朗先生がそうであったように、ゴッドハンドやパイオニアとして名を馳せる医師の多くは海外留学経験をお持ちです。
(先端医療はほとんど海外で生まれますし、医学部教授はたいてい海外留学経験があります)
数年間の海外留学で研鑽を積み、神保町のマシマシママ並の吸収力で最先端の医療技術を得た田沼先生は、小児の冠動脈バイパス手術の技術を日本に持ち帰ることに成功しました。
後に彼が小児心臓バイパス手術の第一人者と呼ばれる所以です。
約19年前
留学を終えた田沼先生は日本の病院で働いていました。
そして現在(白銀・かぐや高校2年生時)から約19年前、
まさかの四宮雁庵という超VIPが直々に「彼女を治せ!」と叫びながら患者を連れてくるではありませんか。
想定外のVIP患者に病院は大慌て。
下手な医者を据えて名夜竹に何かあろうものなら、病院が吹き飛びかねません。
この時、海外留学で得た知識と経験により病院内では渋谷のサンちゃん並の確固たる地位を誇っていた田沼先生が、名夜竹の主治医となります。
田沼先生は名夜竹に適切な処置を施し、無事に改善。
その後、名夜竹は静養のため夜職を辞し、実家に帰ることとなりました。
18年前
やがて、名夜竹はかぐやを妊娠。雁庵が認知します。
妊娠・出産は平常時に比べて遥かに強い負担が心臓にがかかるので、
重度の心疾患を抱えた状態での妊娠は極めてリスクが高くなります。
優秀な産婦人科医を配備するのはもちろんのこと、優秀な循環器内科医や心臓外科医も必要となりました。
そこで白羽の矢が立ったのが田沼先生です。
四宮雁庵は、かつて名夜竹の主治医となった田沼先生についてその後も調査しており、その輝かしい経歴と名夜竹への対応の適切さを見込まれたことで彼は四宮家のお抱え医師に任命されました。
四宮家のお抱えと言いつつも、実際のところは先天性心疾患のある名夜竹に最良の医療を与えるための口実だったのでしょう。
と同時期に、なぜか自分の息子も17歳で子供を作ります。
そう、後の田沼翼くんです。
その時の田沼先生の家庭環境がどうだったのかは知る由もありませんが、
デキ婚をした田沼先生の息子もまた相当に頑張ったのでしょう。
彼もまた医者になり、年齢は不明ながら病院長という立場を得たことが示されています。
17年前
その後、自分の孫と同級生となるかぐやが産まれます。1月1日のことです。
具体的な病状は全く分かりませんが、その29日後、1月30日に名夜竹は死去。
このスピード感を考えると、1月1日よりも前から名夜竹の病状は相当に悪く、
妊娠継続不可能と判断され、やむを得ず帝王切開となった印象を受けます。
力が及ばなかったとはいえ、大晦日も正月も返上して30日間以上におよぶ闘病を献身的に支えた田沼先生の尽力が評価されたか、
あるいは名夜竹という四宮家の秘事が外部に漏れるリスクを下げるためかは分かりませんが、
名夜竹の死後も四宮家のお抱え医師の立場が失墜することはありませんでした。
11年前~現在
6歳になったかぐやは、東京にある秀知院学園の初等部に入学します。
父親として真っ当な愛情を注ぐことこそできませんでしたが、
誕生日を金庫のパスワードに組み込むくらいに雁庵にとってかぐやは特別な人間です。
四宮家本邸は京都にあるので、お抱え医師の田沼先生も京都に居て然るべきですが、
妊娠させ間接的に名夜竹を殺めてしまったことへの罪滅ぼしなのか、
雁庵は病弱なかぐやの身に何かが起きた時の保険として名医・田沼正造を東京の大学病院に移しました。
その際に教授のポストを用意したかもしれませんね。
田沼先生ほどの実績がある人ならば、四宮家総帥という権力を振りかざせば造作もないことでしょう。
結果としてかぐやは東京でアホになってしまったわけですが、
田沼先生は月を見ながら名夜竹に語りかけているほか、かぐや・白銀に対してかなり親身かつフランクに接するなど、かぐやに起きた変化を好ましく思っているようですね。
彼はきっと巣鴨の仙人のごとく、生涯現役でかぐや・白銀をサポートしてくれることでしょう。
まとめ
以上、田沼正造先生の人生と、四宮家のお抱え医師になるまでの経緯に関する考察でした。
こうしてみると、作中の断片的な情報からでも色々と考察できるものですね。
改めて『かぐや様』という作品の完成度、そして魅力を再認識できました。
なお、私は現在ヤングジャンプ本誌を追いかけていないため、単行本化されていないエピソードについては未読です。
そのため、最終巻に出てくる情報次第でこの記事を大幅に書き直す可能性があることをご了承下さい。
ちなみに私が『かぐや様』に出会ったのは、ちょうど3巻が発売された時です。
本屋さんで表紙を見て「インスタントバレットの人が何か描いてる!」と思ったことと、早坂さんの表紙に引き込まれたことで即買いし、以来すっかりハマってしまいました。
その作品がついに円満完結となったことには感慨深いものがありますね。
さて、原作者に専念されることになる赤坂アカ先生は、これからどのような物語を描いていくのでしょうか。
そしてインスタントバレットの続きはいつ読めるのでしょうか。
インスタントバレットは本当に面白いので復活するその日を私はいつまでも待ち続けます。
魔女さんかわいい。好き。
ともかく、『推しの子』を含め、赤坂先生ファンとしては引き続き目が離せませんね。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
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