こんにちは!
産婦人科医やっきーです!
本日は恒例の人気企画、絶版漫画紹介です!
これまでに当ブログでは、パロディの質が高すぎて公開が差し止められてしまった伝説の漫画『3年B組一八先生』をはじめ、
『ブラック・ジャック』の未収録作品「快楽の座」や、黒歴史化した『ザ・ドラえもんズ』など、
現在では絶版・封印となっている作品を取り上げてきました。
【閲覧注意】『ブラック・ジャック』幻の未収録作品「快楽の座」を解説する
なぜ「ザ・ドラえもんズ」は黒歴史になったのか?【絶版漫画紹介】
そんな中、皆様は超有名作『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にも絶版となった話があることをご存知でしょうか。
それこそが単行本4巻にかつて収録されていた「派出所自慢の巻」です。
どちらかと言うと「封印作品」に近い立ち位置かもしれませんね。
というわけで、そんな曰く付きの封印作品「派出所自慢の巻」について、
「マンガの表現規制問題」というテーマを絡めつつどの考察サイトよりも詳しく解説していきます!
目次 非表示
「派出所自慢の巻」について
『こち亀』の歴史について
まずは『こち亀』の歴史についておさらいします。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、通称『こち亀』と言えば、
週刊少年ジャンプで1976年~2016年までの40年間にわたり一度の休載も無く連載された、
日本マンガ界を代表する言わずと知れた超長期連載作品ですね。
葛飾区の亀有公園前派出所に勤務する破天荒な警察官・両津勘吉と彼の周りで繰り広げられる物語を描いたギャグ漫画で、
全201巻という単行本数は2021年に『ゴルゴ13』に抜かれるまで単一漫画シリーズとしては史上最多であり、ギネス世界記録にも認定されていました。
そしてこの長すぎる歴史を持っているが故に、連載初期では今ではちょっと考えられないくらい過激な描写やブラックジョークが散見されました。
そんな中で闇に葬られてしまった作品が、今回ご紹介する「派出所自慢の巻」というわけです。
「派出所自慢の巻」とは
「派出所自慢の巻」は、かつて単行本第4巻に収録されていた作品です。
現在の単行本では未収録となっており、傑作選への描き下ろし作品であった「野球狂の男の巻」に差し替えられています。
ちなみに週刊少年ジャンプにおける初出は1977年16号、単行本第4巻の初版の発行日は1978年2月28日です。
こち亀データベース様によると「派出所自慢の巻」が収録されていた単行本第4巻は第69刷(1991年春発行)まで、
「野球狂の男の巻」に差し替えられたのは第70刷(1991年秋発行)以降となっているようです。
さて、私の手元にはそこそこ年季の入った単行本第4巻がございます。
奥付を確認してみると68刷。(1990年12月15日発行)
そう、この本は「派出所自慢の巻」が削除される直前の第4巻です。
(「派出所自慢の巻」が収録されているのは69刷まで)
1990年当時、これを買ったのは私の父です。
以前からこのブログを愛読して下さっている皆様はご存知かもしれませんが、
私の父は現役の産婦人科医にして1950年代から漫画を熱心に嗜んでいたというツワモノです。
それにしても、我が父ながら「派出所自慢の巻」が削除される直前の第4巻をたまたま持っていたという嗅覚の鋭さは見上げたものです。
というわけで「派出所自慢の巻」を読んでいきましょう。
※単行本をカメラで撮影しているため画質がやや悪いです。ご了承下さい。
「派出所自慢の巻」のあらすじ
話は大原部長が両津・中川に水元公園前派出所への応援を頼んだことから始まります。
風邪で2人の欠員が出てしまったという水元公園前派出所は曰く付きの派出所で、
戸塚「あいつら あの派出所がどんな所だかしってるのかな?」
寺井「しらないからこそ あんなにはしゃいでるんでしょ…」
と冷や汗を流します。
両津によると、水元公園前派出所は葛飾区と埼玉県の境にあり、
「国境警備隊」とあだ名されている模様。
そして両津・中川が水元公園前派出所に到着すると、
2人の班員が1000回のエア自転車漕ぎと三八式歩兵銃に謝り続けるという奇行に及んでいました。
両津は派出所に置いてある戦時中の骨董品のごとき品々に目をつけ、「まるで旧日本軍の司令部みたいだな」と言います。
班員によると「ここの隊長 いや…班長のしゅみなんですよ!」とのこと。
そんな会話をしている最中、水元公園前派出所の班長が戻ってきました。
班長はどう見ても1977年の警察官の姿ではありませんね。
旧日本軍の軍刀を持ち、制服の前には3本の略綬(勲章)、帽子には「前立て」と呼ばれる羽飾りが付いています。
余談ですが、帽子に前立てが付くのは将校(少尉=30~40人程度の部下を指揮できる立場)からです。
すると、神社で酔っ払い2人が喧嘩をしているとの市民からの通報がありました。
班長は班員たちを率いて現場へ向かいますが、
その姿を見た両津は「やれやれ 帝国軍人の玉砕精神か………まったく!」と呆れます。
両津と中川は派出所の留守番をしますが、この日は4月1日。
ストーブもない派出所は寒くてたまりません。
ここで両津は「ようしそれなら たき火でもするか!」と提案します。
そして派出所にある物品を勝手に燃やし始める両津と中川。
ここからが問題としてよく取り沙汰されるシーンです。
中川「それではまず陸軍の代表的な小銃 三八式と九九式からはいります!」
両津「うむ くるしゅうない やれ!」
中川「天皇陛下バンザーイ」
両津「おお みごとにもえてる!」
しまいには木材が使われていない九二式重機関銃までノリノリでたき火にブチ込む中川。
中期以降の常識人枠の中川も良いですが、やはりこの頃のイってる中川が私は大好きです。
2人はたき火で暖まったところで、桜を見ながらカップラーメンを食べることにしました。
枝ぶりの良い桜を取ってくるように指示する両津に対し、
中川は「はい わかりました」と素直に従い、
桜の木を一本引っこ抜いて持ってきました。
「でも先輩 花見はやはり こういっぱいある所でなきゃあ」
「ひと枝の桜なんて…桜のブツ切りですよ やはり一本でないと…」
と言いながらブランデーを飲み始める中川。
繰り返しますが、この頃のイってる中川が私は大好きです。
その後、班長が戻ってくると派出所が大惨事になっているのを見て制裁を加えようとします。
大事に保管していた精神棒や小銃を手に取ろうとしますが、全て燃やされてしまったと聞いて怒り心頭。
班長は怒りのあまり、燃えなかった九二式重機関銃で両津と中川を銃撃し始めました。
車のカゲに隠れた2人に対し、班長は擲弾筒(手りゅう弾を発射する火器)を使用。
これに対してなぜか車のトランクに入っていた対戦車ライフルで応戦する中川。
すると班長は奥に隠してあった戦車に乗り込んできました。
さすがの2人もこれにはたまらず逃亡。
亀有公園前派出所に逃げ込み、陸上自衛隊に応援を要請したところで話がオチました。
「派出所自慢の巻」に関する考察
というわけで「派出所自慢の巻」をお届けしました。
この「派出所自慢の巻」は現在出版されているいかなる媒体においてもその存在を確認することはできず、1993年に刊行された公式大全集『カメダス』でも無かったことにされています。
唯一の名残が、11巻「麗子巡査登場の巻」の扉絵にてフータローとポールの間に水元公園前派出所の班長が居る描写くらいですね。
とはいえ、69回も刷られているので絶版漫画の中ではかなり入手しやすい部類に入り、
2023年8月現在における中古市場の相場は1000~2000円程度、旧ペンネーム「山止たつひこ」名義の単行本でも2000~3000円程度といったところです。Amazonのコレクター商品欄を見ると普通に売っています。
運よくブックオフ等で見つけられれば100円で買えるかもしれません。
では、なぜこの話は封印作品となってしまったのでしょうか。
……どこからどう見ても問題がありすぎるので、だいたい読者の皆様はお察しのことと思いますが、
せっかくなので時代背景や表現規制の歴史を踏まえつつ封印された理由を深堀りしてみましょう。
『こち亀』のセリフ改変について
『こち亀』において「派出所自慢の巻」のように1話まるごと削除されてしまった例は珍しいですが、
実はそれ以外にも、現在では連載初期の表現の多くが改変されているのです。
例えば、連載第1話「始末書の両さんの巻」を読んでみましょう。
この話の冒頭は、田舎から東京へ出てきて道に迷ったおじさんが亀有公園前派出所を訪ねました。
そこに居たのは競馬で大金をスってしまい機嫌最悪の両さん。
両さんは田舎のおじさんに対し「東京はてめえみてえなやつがくる所じゃねえ さっさと帰りやがれ!」となかなかの発言をして追い返しました。
その後も、マヨネーズの一気飲みが得意だった元同僚の話を回想したり、
派出所に赴任した新人警官の中川も悪人を見つけ次第に発砲する気構えを見せたりと、
当時は両さんも中川も連載後期以上に奔放な性格をしていました。
…という有名な第1話ですが、実は1990年頃を境にセリフ・表現が大幅に改変された過去があります。
例えば、冒頭に出てきたおじさんは「新潟からここまできた」と出身地が明記されています。
そんなおじさんに対し両さんは
「本当にぶっ殺すぞ!」
「だてに拳銃をぶらさげてるんじゃねえんだぞ!」
「東京はてめえみてえな百姓がくる所じゃねえ」
「ふん!新潟で米でも作ってろ!」
と、今の時代にジャンプで掲載したら1話で打ち切りになりかねない凄まじい発言を連発しています。
さらに、マヨネーズの一気飲みが得意だった元同僚も改変前ではロシアンルーレットで即死してしまった設定になっており、
中川も「わるそうなの みつけしだいに殺していいんですね」と爆弾発言をしていました。
なお、この1話以外にも『こち亀』連載初期の話にはおびただしい数の修正が行われていますので、
詳しくはごった煮歴史館様をご覧下さい。
マンガ表現規制の歴史
さて、この記事ではしきりに「1990年」「1991年」という年が登場しています。
SNSはおろか、インターネットすら普及していないこの時代になぜ突然のセリフ改変・自主規制が行われることになったのか、
そこには日本のマンガ史を語る上で欠かせない出来事が絡んでくるのです。
次は「なぜこの改変が行われたのか」を時代背景の側面から考えていきましょう。
そもそも、漫画という媒体に対してPTAや表現規制推進派がイチャモンを付けるという動きは今に始まったことではありません。
戦前の言論統制を除けば、1955年の「悪書追放運動」にまで遡ります。
この時は子供の教育に良くない(と親が勝手に判断した)本を入れる「白ポスト」が設置されたほか、
子供向け雑誌や漫画を校庭に集めて燃やす(焚書)という行為まで行われており、手塚治虫先生の『鉄腕アトム』などもその対象になったようです。
「漫画は不健全なものである」という偏った認識はこの時から始まっていたわけですね。
この動きが少し沈静化しかけた頃に油を注いでしまった結果となったのが、
1968年に連載開始し、当時の男子小学生を中心に大ヒットした永井豪先生の『ハレンチ学園』でした。
少年が女性のスカートをめくり上げるいたずら行為、いわゆる「スカートめくり」が流行した一因でもあり、
当時はPTAや教育委員会を始めとした各団体から猛烈な抗議を寄せられたといいます。
……私(30代)が小学生の頃はギリギリ存在していましたが、スカートめくりって文章に起こしてみるとヤバすぎる行為ですね。
アレがよくある少年のいたずら行為として済まされていたのは時代のせいとしか言いようがありません。
念のため、2011年生まれの甥っ子(記事執筆時点で小学校6年生)にスカートめくりが現存するかどうか聞いてみたところ「するわけないじゃん」と言われてしまいました。まあそりゃそうだ。
参考までに申し上げますと、城之内くんのエロ戦車出撃は『遊☆戯☆王』第3話なので1996年の出来事です。
なぜかスカートめくりに脱線してしまったので話を戻しましょう。
上記の『ハレンチ学園』のような実験的な作品を経て、1970~1980年代にかけて漫画の表現の幅が広がっていくと共に、「成人向け漫画」や「ロリコン漫画」といったジャンルも隆盛していくことになります。
(※昭和における「ロリコン」は現在と意味が少し異なり、美少女キャラクター全般を意味する言葉でした。後の「萌え」に近いです)
そして1988~1989年、最悪の事件が起こってしまいました。
幼い4人の少女が被害に遭った「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」です。
この犯人に対し家宅捜索を行ったところ、大量のアダルトビデオやホラービデオ、アニメ・特撮ビデオを所持していた、いわゆるオタクだったことが発覚します。
(というより「オタク」という単語が世間に広まった原因がこの事件です)
この事件をきっかけに「アニメや漫画、アダルトコンテンツが人格形成に悪影響を及ぼす」という論調が広まりました。
漫画に人生の3割くらいを捧げてきた人間として主張したいのは、
漫画やアニメが好きな人間が凶悪事件を起こしやすいのではなく、
凶悪事件を起こした犯人がたまたま漫画・アニメ好きだっただけでしょうし、
仮に犯人の趣味が俳句だったら俳句を規制するんか?と思うところですが、
ともかく世論というものの影響力は非常に大きなものです。
この事件を発端とするオタクバッシング・有害コミック騒動は苛烈であり、
性描写がある漫画だけにとどまらず『北斗の拳』や『ドラゴンボール』といった作品ですら「暴力描写が過ぎる」という理由で非難を受けたほどでした。
そして1991年、ついに国が動きました。
東京都議会が「有害図書類の規制に関する決議」を採択したことを皮切りに、
自民党内で「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」が結成されるなど、マンガ表現規制の波はピークに達します。
そして『こち亀』の集英社など、各出版社が多くの漫画に表現の自主規制をかけたのがこの1990~1991年という時期だったわけです。
「こじき」「ルンペン」「きちがい」「カタワ」「めくら」といった差別用語が昭和の漫画からゴッソリ削られたのも丁度この頃でした。
(手塚治虫作品は事情がもう少し複雑なので、これより前の時期の改変も多かったですが)
ちなみに、1990年前後の『こち亀』は小学生には難しい漢字や常用されない当て字を積極的に使用していました。
私の推測ですが、おそらくPTAに対して「漫画は漢字の勉強にもなる」というアピールをしていたのではないか、と考えています。
結局「派出所自慢の巻」は何が悪かったのか?
以上の基礎知識を踏まえた上で、「派出所自慢の巻」が封印された理由を考えてみましょう。
実際のところ、集英社や秋本先生など公式からのアナウンスが無いため具体的な理由は不明です。
それでもあえて理由を列挙するとすれば、大きく分けて以下の5つが考えられます。
①旧日本軍を茶化した作風
②日の丸を燃やす描写
③警察法違反の描写
④実在する交番への配慮
⑤天皇陛下バンザーイ
①旧日本軍を茶化した作風
「派出所自慢の巻」は1977年当時としても明らかに時代錯誤な班長の姿が描かれ、全体として「旧日本軍」そのものをギャグにした作品でした。
言うまでもなく旧日本軍の扱いは非常にナイーブな問題です。
②日の丸を燃やす描写
具体的なシーンが直接描かれているわけではありませんが、
前後の状況から察するに両津・中川は明らかに日の丸が入った国旗や慰問袋を燃やして暖をとっています。
これも言うまでもありませんが、「国旗を燃やす」という行為は大事件に発展しかねない問題を孕んでいます。
ネット上でも「封印作品になったのは日の丸を燃やしているからだ」という意見を目にします。
確かに1977年当時はまだ辛うじてギャグとして成立していたとしても、
1980年代の日米貿易摩擦による日の丸を燃やすデモや、1987年の「沖縄国体日の丸焼却事件」などを経て、
「派出所自慢の巻」が封印された1991年は「日の丸を燃やす」という行為がギャグとして扱える範疇を超えてしまった時期でしょうから、この説には一定の説得力がありますね。
しかしながら、個人的にこの説に関しては少し懐疑的で、
前述した『こち亀』初期作品の改変はセリフだけにとどまらず、過激なジョークが書いてある背景の貼り紙やポスターを白紙化するという措置も取っていました。
よって、ここに出てきた日の丸も同じ要領で無地にしたり絵柄を変えてしまえば、自主規制の対象から免れることは十分に可能だったと思います。
③警察法違反の描写
ギャグの一環として流されてはいるものの、小銃や機関銃・ライフルなどどう見ても一介の警察官が装備して良い武器ではないものがガンガン使用されています。
ちなみに警察官が拳銃を持つことのできる根拠となる法律は警察法第67条で、
「警察官は、その職務の遂行のため小型武器を所持することができる」とされています。
そう考えると、作中では完全に「小型武器」の範疇を逸脱しまくった銃火器がバンバン出てきていますし、
そちらの方面からクレームがついても何ら不思議ではありません。
とはいえ、現在も出版されている第1話で中川が何の罪もないライトバンに44マグナムをぶち込んでいるので、
これに関しては今更すぎるような気もします。
④実在する交番への配慮
地元の方以外にはあまり知られていませんが、
葛飾区と埼玉県の県境には今回の舞台となった「水元公園前交番」が実在します。
さすがに実在する交番をネタにした話としてはちょっと激しすぎますね。
もっとも、他の話で「神田署(実在する)」を「度恋署(架空)」に変更したこともありますし、ストーリー上必ずしも水元公園前派出所である必要性は無いため、これも邪推の域を出ないかもしれません。
⑤天皇陛下バンザーイ
最後がこちら。
「派出所自慢の巻」を語る上で欠かせない伝説のセリフ「天皇陛下バンザーイ」です。
ネット上の様々なサイトでも、『「天皇陛下バンザーイ」というセリフがあるせいで封印された』という説をよく目にします。
というより最も主流派の説がこれです。
確かに、かなり際どいジョークなので封印された原因のひとつになった可能性は大いにあるでしょう。
しかし本当に「天皇陛下バンザーイ」だけが原因なのだろうか、というと疑問が残ります。
まず「天皇陛下万歳」という言葉は特攻隊員が敵地に攻め入る時に使用していたとされるため誤解されやすいのですが、
この言葉は特攻隊員だけが使う言葉でもなければ、日本に限った言葉でもありません。
特攻隊のことは一旦置いておくとして、君主制国家の国民が国家の繁栄を願う言葉としてはごく当然のものですし、
イギリスの国歌は現在でも「国王陛下万歳(God Save the King)」です。(女王の時は「女王陛下万歳(God Save the Queen)」)
では「天皇陛下万歳」という言葉は現在の日本国政府や皇室にとってどのような扱いなのでしょうか。
それを示す手掛かりのひとつが、平成2年12月20日に当時の天皇陛下(現在の上皇陛下)即位の礼・大嘗祭における記者会見です。
この時に万歳三唱が行われたことについて、記者会見でこのような質問がなされました。
「万歳三唱がございましたが,天皇陛下万歳という言葉は,先の戦争でずいぶん若い人達が死んでいったわけですが,そのことを踏まえて,どんなお気持ちでお聞きになりましたか。」
これに対し当時の天皇陛下は、
「政府で十分に色々検討して,こういう形が良いということになり,それに従ったわけであります。そういうことはありません。私の世代はそれよりも後の時代に,そういうこととかかわりのない時代に長く生きてきているということが言えると思います。」
とお話しになりました。
端的に言えば、「天皇陛下万歳」は戦争と関わりのない言葉として使う限りにおいてNGワードではないというのが政府・皇室の見解のようです。
もっとも「派出所自慢の巻」では戦時中の用法を揶揄しているとも捉えられるので、使って良いかどうかはともかく「不謹慎だ」という意見に反論の余地はありません。
しかし、そうだとしてもセリフを変えればいいだけです。
前述した通り『こち亀』初期ではセリフの改変はザラにありましたから、「天皇陛下バンザーイ」が使えなくともセリフを改変する余地はいくらでもあります。
そもそも「不適切な表現を一度使ったから以降はアウト」という理屈がまかり通るならば、
かつて「きちがい」という単語が使用されていた『ドラえもん』も『はだしのゲン』も『あしたのジョー』も『巨人の星』も全部発禁です。
まとめると、「派出所自慢の巻」が封印作品となった理由に関する私個人の見解としては、
修正のしようがない①「旧日本軍を茶化した作風」が最も致命的であったと思われ、
そこに②~⑤の色々まずい描写が重なったことで集英社が封印を決定したのではないかと考えています。
他の『こち亀』初期の話はセリフや背景を変えるなどして凌いだわけですが、さすがに「派出所自慢の巻」だけは小手先の改変だけではどうにもできなかったのでしょう。
やっきーの意見
ここからは私の「マンガの表現規制」に関する意見を述べさせて頂きます。
このように、昭和の時代に描かれた漫画はのちに抗議や自主規制を受けてセリフが改変されたり1エピソードが封印された例がしばしば見られました。
しかしながら、このような作者の意図から外れたセリフの変更はどうしても話が不自然になりがちです。
そうした例として悪い意味で有名なのが『ブラック・ジャック』の「木の芽」ですね。
このエピソードは体中から木の芽が生えてくる奇病にかかった少年をBJ先生が治療するという話なのですが、
初期の版では患者の兄が「弟がカタワだって知ったら…きっと かなしむし……」と言ったのに対し、
BJ先生が「カタワということば 二度とつかうな」と激昂するシーンがありました。
(「カタワ」は「障害者」を意味する言葉で、差別的なニュアンスを持ちます)
しかしある時期を境に、
「弟が病人だって知ったら…きっと悲しむし……」
「病人ではない!!」
と差別用語を避けた改訂が行われたためにBJ先生が怒る意味が全く分からない謎のやりとりになってしまいました。
体中から木の芽が次々に生えてくるってどう考えても病人でしょうよ。
BJ先生は「自分もかつてはカタワと呼ばれ差別されていたので、少年に同じ思いをさせたくない」という意図で言っていたわけですから、
それを削って意味不明なやりとりに変えてしまったせいで物語が台無しです。
活動時期の関係上、手塚治虫作品にはこの手のセリフ改変が頻繁に行われているわけですが、
1センテンス・1エピソードならまだましな方で、作品全体にわたって改変まみれになってしまったのが『どろろ』ですね。
『どろろ』は身体の48か所が欠損した百鬼丸と夜盗をして生活する孤児・どろろという2人の主人公が登場する関係上、
初期の版では差別用語が山のように登場するため、改定後の版では戦国時代の話としては不自然な単語が多く登場するなど物語の印象が大きく捻じ曲げられてしまいました。
しかし、このような古い漫画から「昔と今の文化の違い」について学び取れることは多々あります。
以前に書いた『ブラック・ジャック』子宮頸がんの考察記事で、
BJ先生が「子宮と卵巣を取ると女性ではなくなる」という問題発言をしたことに対して私もツッコミを入れましたが、
ある読者の方が「ブラック・ジャックは考え方が古いから嫌いだ」とお怒りの感想を述べられていたのを目にしました。
古いも何も50年近く前の作品なので今と価値観が違って当たり前なわけで、
私としては「考えが古い!嫌い!」ではなく「なぜこういう価値観なのだろう?時代背景は?」といったところまで考えて頂きたかったですね。
(私の文章力が足りなかったと反省するところでもありましたが)
このように文化の違いを考慮することなく、ただ「今の価値観ではおかしい漫画だ」「子供に悪影響を与えるに違いない」として切り捨ててしまう行為はあまりにも近視眼的だと言わざるを得ません。
昔の悪書追放運動のように「今の価値観にそぐわない書籍・表現は規制すべき」などという話になれば、
それこそ光源氏が若紫(10歳)を見初める『源氏物語』は日本中の古典の教科書から削除しなければならなくなります。
現代の価値観をしっかり理解した上で「なぜ昔はこういう文化だったのか」を考えることは、もっとも深い学びを得られる行為のひとつだと思います。
だからこそ、PTA等による作品の規制や作者の意図にないセリフの改変・エピソードの封印が今後は少しでも減ることを願いたいですね。
……『一八先生』みたいに著作権が絡んでくるのはまた別として。
まとめ
というわけで、『こち亀』の封印作品「派出所自慢の巻」から考えるマンガ表現規制問題についてお話ししてきました。
最後に、文学の規制に関する2つのエピソードをご紹介しましょう。
日本のマンガ文化を牽引することになる偉人・手塚治虫先生の『鉄腕アトム』が1955年の悪書追放運動で焚書の憂き目に遭ったのは前述した通りですが、これに類似する出来事は昔からありました。
大野茂著『サンデーとマガジン』によると、明治時代の新聞にも
「近年の子供は、夏目漱石などの小説ばかりを読んで漢文を読まない。これは子供の危機である。」
という記事が載っていたといいます。
のちに近代の日本を代表する文豪にまで登りつめた夏目漱石の小説でさえ当時は低俗な娯楽作品として扱われていたわけですから、いかに価値観というものが曖昧なものかが分かりますね。
また、1797年生まれのドイツの詩人ハインリヒ・ハイネは戯曲『アルマンゾル(Almansor)』において、
「焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる。(Dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man auch am Ende Menschen.)」
という言葉を残しています。
ハイネの言葉通り、100年以上を経てナチス・ドイツがハイネの書物を焚書の対象とし、
その後世界史上でも類を見ない虐殺行為を行ったことはご存知の通りです。
これまでに凶悪な事件や大きな社会問題が起きるとマンガ・アニメは何かと槍玉に挙げられ、その度に表現を捻じ曲げられたり規制されたりしてきました。
そして、今後も恐らく同じような出来事は起きるでしょう。
しかし、この記事を読んで下さった皆様には「本当に『規制』が最善の手段なのか」ということを考えて頂きたいと思います。
声の大きい規制推進派に忖度して差別・戦争などのナイーブな話題をただ避けるのは簡単ですが、それは本質的な解決ではありません。
「差別用語や戦争のこと、文化の変遷をしっかり学んだ上で、それに対し現代人としてどう向き合うか」を考えることこそが最も重要だと思います。
漫画という日本の素晴らしい文化を守る上でも、表現や作品の過剰な規制が減ることを願います。
なお、今回の記事ではいわゆる差別用語を多く使用していますが、あくまでも過去に使用されていた表現の例として挙げたものであり、差別を助長する意図を持っていないことをご理解ください。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
以下、関連記事です。
言葉も文化も医学も、ほんの100~200年で大きく変わります。
マンガを規制することには大反対ですが、『一八先生』だけは…うん……厳しいかな……
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