こんにちは!
産婦人科医やっきーです!
本日はある幻の漫画について紹介しましょう。
その漫画とは、手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』です。
何をこいつはそんな超有名作品をドヤ顔で語ってるんだ赤いコンドルでタコ殴りにしたろかと皆様はお思いのことでしょう。
確かに『ブラック・ジャック』は言わずと知れた超有名作品で、医療マンガのパイオニアと言っても良いほどの存在ですね。
ほとんどが1話完結であり、キャラクターの魅力と物語の完成度の高さにより今でもファンの多い傑作です。
そんな『ブラック・ジャック』には幻と言われている3つの話が存在することをご存知でしょうか。
それが「植物人間」「指」「快楽の座」です。
今回は、その中で最も入手難易度が高く「ブラック・ジャックにおける真の未収録作品」と呼ばれる「快楽の座」について紹介していきましょう。
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『ブラック・ジャック』
『ブラック・ジャック』は無免許の天才外科医、ブラック・ジャックを主人公とした医療マンガです。
当ブログでも2度にわたり取り上げてきましたね。
『ブラック・ジャック』より常位胎盤早期剥離と緊急帝王切開について解説する
この『ブラック・ジャック』を読んだ方の中にはこんな疑問を抱いたことがある方がいらっしゃると思います。
『ブラック・ジャック』って何種類も単行本があるの?
少し大きめの本屋さんに行くと『ブラック・ジャック』は何種類か置いてあることが多いですね。
メジャーなところだとコレとかコレを目にする機会が多いと思います。
単行本の種類
何を隠そう、『ブラック・ジャック』の単行本は大きく分けて以下の6種類が存在します。
・少年チャンピオン・コミックス(秋田書店)
・少年チャンピオン・コミックス 新装版(秋田書店)
・秋田文庫(秋田書店)
・手塚治虫漫画全集(講談社)
・手塚治虫文庫全集(講談社)
・ブラック・ジャック大全集(復刊ドットコム)
この時点でまあまあ面倒くさいことになっていますが、
さらに厄介なことに、各媒体によって収録作品の順番がバラバラになっています。なんでやねん。
20年以上前、やっきー少年は小学校の図書室で『ブラック・ジャック』と初めて出会いました。
図書室には秋田文庫版の1巻しか置いていませんでしたが、その作品の面白さに一気に惹かれ、続きを読むため近所の本屋さんに突撃し、
そしてこの圧倒的なラインナップの豊富さに絶望しました。
秋田書店の少年チャンピオン・コミックス版と少年チャンピオン・コミックス新装版や、
講談社の手塚治虫漫画全集と手塚治虫文庫全集はそれぞれそっくりな名前なのに収録内容や順番が猛烈に異なるというド鬼畜仕様です。
同じ出版社が似たような名前の単行本を出すなんておこがましいとは思わんかね…
さらにさらに、あろうことか媒体によっては収録されていない話もあったりするので一見さんお断り度が強化されています。
例えば秋田文庫版では「血が止まらない」「しずむ女」などの5作品が未収録であり、
コミックス版では「金!金!金!」「おとずれた思い出」などの5作品が未収録です。
このため、単行本に収録された作品を全て集めるにはプレミアが付いてヤベェ値段になっている『ブラック・ジャック大全集』を全巻集めるか、
チャンピオン・コミックス全巻+秋田文庫第17巻+ファンブックである『Treasure Book』を買わねばならないという、
もはや『ブラック・ジャック』ファンを苦しめるためとしか思えない状況になっています。
(ちなみに『Treasure Book』は他媒体に載っていない作品が豊富に揃っており、ファンブックとしても良書です)
ほんと、何故こんなにややこしくしたんでしょう。
結局どれを買えばいいのか
あまりにもややこしいので、どれを買えば良いか分からない人のために各媒体を簡単に分かりやすくまとめました。
(やっきーの独断と偏見がメチャクチャ入っています)
ちなみに「豪華版」と呼ばれる仕様もありますが、あれは秋田文庫版がハードカバー化されただけで中身はほぼ一緒なのでお好みでお選びください。
結論としては、可能な限り多くの収録作品を網羅したい方は「チャンピオン・コミックス版」+「秋田文庫版17巻」+「Treasure Book」、
どれか1種類でなるべく多くの作品を揃えたい方は「手塚治虫文庫全集」がお勧めです。
我こそはというド変態は「ブラック・ジャック大全集」を買いましょう。
そもそもネットの中古市場以外で見かけることはほぼ無いですけどね!!!
幻の3大未収録作品
そんな『ブラック・ジャック』ファンの間で「幻の3作品」と呼ばれているのが「植物人間」「指」「快楽の座」の3作なのです。
この3作品は現在出版されているいかなる媒体でも読むことが不可能で、
全話網羅が売りの『ブラック・ジャック大全集』にすら掲載されませんでした。
これは手塚プロダクションの意向によるものなので、今後も復刊されることはほぼあり得ないでしょう。
「植物人間」はかつてチャンピオン・コミックス4巻に収録されていましたが、
19刷以降で削除され「からだが石に…」に差し替えられました。
削除された原因としては、後述する精神外科に関連する描写があったためとされています。
(画像は本の匠 ビンデージコミック探検隊 様より)
「植物人間」が収録されている単行本は、2023年3月現在で中古市場の相場としては数千円ほどとなっています。
これでも絶版漫画としてはかなり手に取りやすいレベルのお値段です。
「指」「快楽の座」の2作品は雑誌掲載のみで、これらが収録された単行本は存在しません。
「指」という作品は生まれつき指の本数が多い疾患「多指症」を扱った作品です。
未収録となっている理由は、多指症患者がクラスメイトから化け物扱いを受けている描写があり、
これが偏見を助長するとされたためです。
(画像はまんだらけオークション 様より)
そして「指」はのちに多指症の要素を削除して「刻印」としてリメイクされました。
私も「指」は読みましたが、正直なところ作劇上の観点から多指症である必要性に乏しく、
しかも「刻印」では患者である間久部とブラック・ジャックの友情がしっかりと描かれていることから読後感も良好で、
(「指」では間久部が友人の命を何とも思わないクズ人間になっています)
作品全体の完成度としてはリメイクの「刻印」の方が高いと言わざるを得ません。
それでも『ブラック・ジャック』の未収録作品ということには間違いないので、
「指」が収録された週刊少年チャンピオン1974年6月24日号は数万円で取引されています。
手塚先生ご自身も思うところがあったのか「指」の原稿自体を流用して「刻印」にリメイクしたため、
「指」のオリジナル原稿は一部しか残っていないそうです。
そして、今回取り上げる作品が「快楽の座」です。
「快楽の座」に至ってはリメイクすらなく、当時発売された週刊少年チャンピオン1975年1月20日号でしか読めません。
そのため「ブラック・ジャックにおける真の未収録作品」と呼ばれることもあり、
「快楽の座」が収録されたチャンピオンは中古市場で10万円以上の価格で取引されています。
もはや「一生かかってもどんなことをしても払います!きっと払いますとも!」と言える人しか手にすることのできない作品ですね。
しかし『ブラック・ジャック』ファンの一人として、このまま作品が埋もれてしまうのは実に勿体ない話です。
そんなわけで本日は「ブラック・ジャックにおける真の未収録作品」こと「快楽の座」をご紹介しましょう。
人によっては気分が悪くなる展開も含まれていますので、閲覧にはご注意ください。
「快楽の座」
「快楽の座」は『ブラック・ジャック』の連載58話目にあたります。
アオリ文も「スチモシーバーを脳に入れた少年が狂った!!」とかなり攻めています。
1975年という時代を感じますね。
ブラック・ジャック先生は鬼頭教授に招待され、ある実験を見学していました。
それはサルやライオンの脳に「スチモシーバー」と呼ばれる機械を装着し、動物の行動を操るというものでした。
鬼頭教授はこれを人間に利用することを提案します。
患者の脳にある快楽の中枢を刺激することによって、患者の不安やうつ症状を取り去ってしまうという治療法でした。
現代の基準に照らすまでもなくどう考えてもヤバすぎる治療法です。この時点で絶版になるのも納得ですね。
「人間にはきけんですよ」と心配を露わにするブラック・ジャックに対し、
鬼頭教授は「そんなことを心配していたら医学の進歩はむずかしいよ」と意に介さない様子。
ブラック・ジャックは黙って教授のもとを去ります。
そんな鬼頭教授は、ある患者を受け持っていました。
ここ3~4年全く笑顔を見せていない少年・三郎くんです。彼の友達はトカゲ一匹だけでした。
彼の症状に対し、「はっきり鬱病体質ですよ それは病気なのです」とあまりにもストレートな表現をする鬼頭教授。
三郎くんの気持ちを考えてあげて頂きたいところ。
鬼頭教授はスチモシーバーこそが三郎くんの病気を救うと確信していました。
そしてインフォームドコンセント(説明)からわずか1コマで手術に移ります。なんちゅうスピード感だ。
手塚漫画は物語のテンポをかなり重視しているので細かいところが描かれていないのは仕方ないところですが、
手術を行うにあたってはメリットとデメリットについて患者本人や家族へ入念に説明しなければなりません。
しかも鬼頭教授のスチモシーバーは、実験の経緯からしてどう見ても有効性が確立していない治療法なので、なおさら綿密な説明が必要になってきます。
そして手術が終了すると…
小さい子が見たらトラウマになりかねない不気味な笑顔を浮かべる三郎。
「もう三郎くんはけっして陰気な心になりません」と鬼頭教授は話します。
マッドサイエンティストにも程があります。
そんな三郎に対し入院中にも関わらず勉強を無理強いし、週刊誌をゴミ箱に捨てる母親。
それでも三郎は暗い感情自体が消えてしまっているので文句を言いません。
鬼頭教授は意気揚々と回診をします。
そして三郎は鬼頭教授を背後から刺しました。
三郎はそのまま病院を抜け出して自宅に戻り、笑いながら母親を拘束していました。
母親にさらなる危害が及ぶ直前のところで、ブラック・ジャックが薬を注射して三郎を眠らせました。
そのまま緊急手術を行い、スチモシーバーを取り除くことに成功します。
後日、ブラック・ジャックは三郎のもとを訪ねました。
笑顔は消え、トカゲだけと遊ぶようになったそうです。
ブラック・ジャックは「ま はじめから出なおしですな」と声をかけます。
ブラック・ジャックは三郎のうつ病の原因が母親から勉強を押し付けられたこと、自由が存在しないことにあると見抜き、
処方箋として「勉強を押し付けないこと」「無理強いしないこと」などの治療法を書いた紙を渡し、3000万円を請求しニヤリと笑みを浮かべました。
未収録の理由
そんなわけで「快楽の座」を紹介しました。
この作品が単行本未収録となっている理由は…まあお察しの通りと言えば簡単なのですが、
このブログは世界一漫画に詳しい産婦人科医のブログ(自称)ですので、
精神障害の治療の歴史を振り返りつつ「快楽の座」がなぜ未収録になっているのかを深く突っ込んで解説していきましょう。
精神障害と精神外科
「精神障害」という病気は非常に歴史が長く、古代ギリシャの時代から存在していたと言われています。
中世くらいまでは「神が乗り移った」とか「悪魔が憑依した」などと言われてきたため、
そもそも病気であるという認識自体が希薄であり治療法もなかなか確立しませんでしたが、
19世紀になりようやく脳の病気として認識され始めます。
そんな中、1935年に脳の手術により精神障害の治療をする、通称「ロボトミー手術」と呼ばれる治療法が動物実験を経て始まります。
この手術は当時としては画期的で、それまでに確かな治療法が無かった精神障害を改善する可能性があるため、
外科的に精神障害を治療する「精神外科」の研究は世界中に広まりました。
ロボトミー手術の先駆者であるエガス・モニス医師にノーベル賞が贈られたほどだと言えば、当時としてはいかに画期的だった(と思われていた)かが分かりますね。
しかし、手術を受けた患者さんの中には不可逆な障害が残った方がいたこと、
患者さんの人権が半ば無視されるような形で手術された症例が存在したこと、
そして抗精神病薬が発明されたことなどを背景に急速に廃れていきました。
日本でも1975年に日本精神神経学会で「精神外科を否定する決議」が執り行われて以降、ロボトミー手術は医学上の禁忌となりました。
現在、精神外科に分類される治療としては「電気けいれん療法」「磁器刺激療法」などごく一部(これらは安全性がそれなりに確立しています)が残るのみで、
精神障害に対する治療法は薬物治療や心理療法がメインとなっています。
ロボトミー殺人事件
この状況をさらに厳しくしたのが、通称「ロボトミー殺人事件」です。
1964年に東京都内で患者さんの十分な同意を得ずにロボトミー手術が行われた症例がありました。
その後、患者さんは後遺症に苦しむこととなり、1979年に報復として担当精神科医の妻と母親を刺殺してしまうという大事件が発生しました。
「快楽の座」が公開されて4年後の事件でした。
この事件が起きる前から「快楽の座」は単行本収録が見送られていましたし、
「快楽の座」のスチモシーバーとロボトミー手術は似て非なる手術ではありますが、
物語の内容に類似した殺人事件が発生してしまった事情などを考えると、やはり今後の再録は不可能と見て良いでしょう。
そもそも、作中の描写から手塚治虫先生は人権を無視した医療に警鐘を鳴らすために「快楽の座」を描いたと思われるのですが、
描写があまりにも的確すぎて逆に公開が控えられる事態となってしまったのは皮肉なことです。
まとめ
本日は『ブラック・ジャック』より幻の未収録作品「快楽の座」および精神外科について解説しました。
手塚作品に限った話ではありませんが、漫画オタク道を突き進む上で絶版マンガをいかに集めるか、というのは避けて通れぬ難関です。
こういった過去の絶版作品は今では使えない表現を使用していたり時代にそぐわなかったりという理由で再販や電子書籍化のハードルは高いものです。
しかし、そうした過去の作品に対しアクセスしやすい環境を作ることも、日本の漫画という素晴らしい文化を守る上で必要なことだと私は思います。
本記事が皆様にとって絶版作品のことを、そして精神外科という分野がかつて存在したことを知るきっかけとなれば幸いです。
できれば「快楽の座」だけでなく「指」「植物人間」も再販してほしいですが…
以下、関連記事です。
『ブラック・ジャック』の解説記事はこちら。
2010年代における絶版漫画の代表格。別の意味で危なすぎてもう読めない作品です。
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