こんにちは!
産婦人科医やっきーです!
突然ですが、世界一漫画に詳しい産婦人科医を勝手に自称する私なので「お勧めの医療漫画を教えてください」というご質問を頂くことがしばしばあります。
ただ、ご質問をして下さる皆様には大変申し訳ないのですが…
私は正直なところ医療漫画が特別好きというわけではありません。
むしろ苦手な部類です。
というのも、医者目線だとどうしても医療描写に粗があると気になってしまいますし、描写が忠実なら忠実でオフの時間まで仕事をしているような気分になってしまうため読んでいて疲れてしまうのです。
そのため、私が好きな医療漫画となると「医療描写が現実に即していて」かつ「作品としても面白い」漫画ということになるわけですが、これが本当に少ないのです。
(『ブラック・ジャック』や『JIN-仁-』のように現実から大きくかけ離れていればまた別ですが)
このブログを書くにあたり医療漫画も数十作は読みましたが、また読みたいと思えた医療漫画は片手で数えてちょっと余るくらいしかありませんでした。
そんな中、数少ない「面白くて医療描写も優れた作品」のひとつがこちら、
原作・草水敏先生、作画・恵三朗先生『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』です。
本日はそんな『フラジャイル』で描かれた、「医者にとっても診断が難しい病気」のひとつである「LEGH」について解説していきましょう。
フラジャイル
病理診断科
『フラジャイル』について解説する前に「病理診断科」が何なのかを説明しておきましょう。
「内科」「外科」「産婦人科」といった診療科は一般の方にもイメージしやすいと思いますが、
「病理診断科」という科は馴染みが薄いかなと思います。
例えば我々産婦人科医が手術で腫瘍を摘出したり、がん検診で細胞を採取したとして、
それらの細胞を顕微鏡でチェックして診断を下すのが「病理診断科」の先生方です。
どんなに腕の良い外科医であっても、手術で取った腫瘍が良性か悪性か、どのような種類の腫瘍なのか、といった情報が無ければ次のステップに進むことができません。
よって、「病理診断科」「放射線科(放射線診断・放射線治療)」「麻酔科」の三科は患者さんと直接関わる機会が少ないものの、
実際の治療は彼らなくして成り立たないので『ドクターズドクター(医者をリードする医者)』と呼ばれる超重要ポジションです。
『フラジャイル』はそんな病理診断科の奮闘を描いた作品です。
あらすじ
続いて『フラジャイル』のあらすじを解説しましょう。
物語の舞台となる壮望会第一総合病院の病理部を一人で切り盛りする医師が、岸京一郎です。
彼は膨大な知識と確かな診断眼を持った極めて優秀な病理医なのですが、
異常な人相の悪さと偏屈さ・傲岸不遜さを持ったトラブルメーカーでもあります。
そんな彼に師事する新米病理医が宮崎智尋です。
彼女は元々、情に厚く正義感の強い神経内科の研修医でしたが、岸のおかげで患者を救えたことをきっかけに病理部に転属しました。
宮崎先生は厳しい指導を受けつつも、尊敬する岸に追いつくべく病理医としての研鑽を積んでいきます。
『フラジャイル』は一見地味な病理診断科を題材としつつも、
癌と戦う患者や主治医、新薬を探求する製薬会社といった様々な視点からの物語が描かれており、
しかも診断や治療の手順・現場の空気感が実に秀逸に表現されているため私がお勧めできる数少ない医療漫画のひとつと言えます。
ちなみにこの『フラジャイル』、実写ドラマ化もされているわけですが、
三白眼で人相の悪い設定の岸先生を長瀬智也さんが、仕事に忙殺され身だしなみに気が回らない設定の宮崎先生を武井咲さんが演じられているため、
設定の割に美男美女すぎるのではと言われることに定評があります。
しかしよく考えると『コウノドリ』の影響で私も同期の産婦人科医(男)と一緒に綾野剛ごっこや星野源ごっこを楽しんでいたことがあるので、
美男美女というのはそれだけで正義なのである。現実は厳しい。
第8話
この『フラジャイル』において岸先生は病理医として最高の診断眼を持っていることが描かれているわけですが、
そんな彼が頭を悩ませた数少ない症例が、第8話で描かれた安田さんでした。
彼女は一人の娘を持つ母親で、下腹部痛のため婦人科を受診しました。
子宮頸部(子宮の出口)が腫れていたため組織検査をしたところ、子宮頸部に発生する病気「LEGH」または子宮頸癌が疑われる状況でした。
LEGHの説明は後に行いますが、岸先生をもってしても、いくら考えても診断に至りません。
困り果てた岸先生は、自分の元指導医であり慶楼病院の病理教授でもある中熊先生に相談をします。
しかしながら、中熊先生にも確信を持った診断は不可能でした。
結局この症例は岸先生が別の側面から違和感を抱き、隠れていた腸の病気「家族性大腸腺腫症」を発見するに至り、
子宮の病変(LEGH)は家族性大腸腺腫症の影響であることを推測しました。
子宮頸部とLEGH
さて、たびたび出てきたこの「LEGH」という病名ですが、
一般の方どころか医者の中でも産婦人科医・病理医以外はほぼ知らないと言っても良いであろう病気かと思います。
このLEGH、診断が難しいと同時に良性の病気なのか悪性なのか立ち位置が微妙で、
産婦人科の研修医が「結局どういう病気なのかよく分からん」と頭を悩ませる存在でもあります。
研修医時代の私にも理解不明な病気でした。
6年間の医大での勉強と2年間の前期研修を積んだ上でさえこの有様なので、患者さんにとってはより一層分かりにくいことでしょう。
そのため、LEGHについて解説する前に「子宮頸癌」という病気についてお話ししておきましょう。
子宮頸癌
まず、子宮頸部(子宮の出口)には「扁平上皮」と「円柱上皮」という2種類の細胞が存在します。
大ざっぱに子宮の出口側が扁平上皮、子宮の内側が円柱上皮でできています。
子宮頸癌のうちざっくり8割くらいが「扁平上皮」から発生する「扁平上皮癌」、
2割くらいが「円柱上皮」から発生する「腺癌」と呼ばれるものです。
「円柱上皮からできるなら円柱癌でええやんけ」と思われそうですが、なぜ腺癌という名前なのかと言いますと、
この円柱上皮というやつは子宮頸管の分泌液を出しているところでもあり、
円柱上皮は分泌腺でもある、という意味でもって「分泌腺が癌になる」⇒「腺癌」と呼ばれているわけですね。
そしてこの子宮頸部の腺癌ですが、扁平上皮癌に比べて検診で発見しにくい上、
放射線治療や抗がん剤治療がやや効きづらく、転移しやすいなどの特徴を持つため厄介な病気です。
ちなみに扁平上皮癌も腺癌も、ほとんどはHPV(ヒトパピローマウイルス)が原因であることが突き止められているため、
HPVワクチンにより高い確率で発症リスクを下げることが期待できます。
詳細はHPVワクチンの記事をご参照下さい。
【医学の話】『コウノドリ』より 子宮頸がんとHPVワクチンについて考える
幽門腺化生
ここでちょっと話を変えます。
上で書いた子宮頸管の分泌腺ですが、たまにどういうわけか胃の粘液を分泌する細胞「幽門腺」に変化することがあります。
これはもう本当に、何でこんなことが起きるのか謎です。
子宮頸部に胃の粘液を作る細胞ができる?どういうこっちゃ?とは思いますが、とりあえずここは納得しておきましょう。
なぜなら私にも仕組みがよく分かんないので。
とにかく、この現象を「幽門腺化生」と呼び、幽門腺化生を起こす病気を「胃型粘液産生疾患」と呼びます。
LEGHについて
さて、なぜ急に幽門腺化生の話をし始めたかと言いますと、
今回の題材である「LEGH」は幽門腺化生を特徴として持っているためです。
というわけで、いよいよLEGHという病気について解説していきましょう。
ここから先はかなり難しい話になってくるので飛ばし読み推奨です。
結論だけ知りたい、という方はこのへんまで読み飛ばしてしまっても良いでしょう。
ここまで散々LEGHと呼んできましたが、略さず言うと「Lobular Endocervical Glandular Hyperplasia」の頭文字です。
日本語なら「分葉状頸管腺過形成」と訳されますが、はっきり言って呼びづらくて覚えにくい名前なので日本語で呼ばれることは少ないです。
我々産婦人科医もほぼ「LEGH」としか呼びません。
このLEGHですが、ほとんど症状が無いか、あったとしてもおりものが増えるかくらいの症状しか無く、
がん検診など別の理由での婦人科受診か、あるいは他の場所を見たくて撮ったCTやMRIにたまたま写るかで発見されることが殆どです。
LEGH自体は基本的に良性の病気なのですが、後述する「最小偏倚腺癌」や「胃型粘液性癌」に進展したり混在していたりする可能性があるため、
LEGHは100%確実に良性!とも言いがたい、扱いが難しい病気でもあります。
LEGHは子宮の出口付近に花が咲いたかのように小さなツブツブが発生する(コスモスパターンと呼びます)ので、
見た目からLEGHを疑うのはそれほど難しくありません。
ただ、見た目だけだと「ナボット嚢胞」「トンネルクラスター」と呼ばれるほぼ100%良性の病変と紛らわしいこともあり、
しかもこれら2つは頻度のきわめて高い病変なので鑑別が非常にややこしいです。
(産婦人科医の先生に解説しますと、ナボット嚢胞は頸管腺の排出口が閉塞して粘液が貯留した病変です。慢性子宮頸管炎の治癒過程として扁平上皮が増生することで閉塞すると考えられており、経産婦さんでは非常によく見られます。対してトンネルクラスターは移行帯付近の頸管腺が増生する病気であり、増生した頸管腺が閉塞すると嚢胞病変を生じることがあります。これまた経産婦さんに多い病変です。ナボット嚢胞とトンネルクラスターは顕微鏡下では同様の外観を示すため、生検鉗子での頸部組織診レベルでは両者の鑑別はほぼ不可能な上、両者を明確に区別するべき医学的意義もほぼ無いのでひとくくりに「ナボット嚢胞」と診断されることも多いです)
最小偏倚腺癌と胃型粘液性癌
そんなLEGHと鑑別が難しい悪性腫瘍、それが「最小偏倚腺癌(Minimal deviation adenocarcinoma / MDA)」と「胃型粘液性癌(Gastric type mucinous carcinoma / GAS)」です。
MDAは子宮頸部腺癌のさらに1~3%程度の頻度と非常に稀な病気で、通常の子宮頸部腺癌以上に浸潤能・転移能が高く、化学療法の感受性も低いというきわめて厄介な病気です。
GASはMDAがさらに進展したものであり、MDAと同様に悪性度の高い病気です。
なお、先ほど「子宮頸癌の原因のほとんどはHPVである」という説明をしましたが、
このMDAとGASに関してはHPVと関連せずに発生する、非常に珍しいタイプの子宮頸癌であることが分かっています。
(これまた産婦人科医の先生用の解説です。LEGHがMDA/GASに進展する仕組みとしては、LEGHにGNASやp53などの遺伝子変異が加わわると「gAIS = gastric-type adenocarcinoma in situ / 異型LEGH」になり、さらに遺伝子変異が蓄積したものがMDA/GASになると言われています。gAIS症例の頸管細胞診判定はAGCもしくはAISである場合が多いため、細胞異型が見つかった段階で異型LEGHやMDA/GASを想定して子宮全摘を行うべきとされています。逆に、異型細胞を伴わないLEGHはMDA/GASの発生母地となる可能性はあるもののその頻度は低く、SCCに対するCIN3と同列に考えるべきポテンシャルは有さないため、経過観察も許容されるとしています。 参考:宮本強「子宮頸部の分葉状頸管腺過形成 (LEGH) は前がんなの?」産科と婦人科 89(10): 1124-1129, 2022.)
岸先生は何を悩んでいたのか?
以上を踏まえた上で、岸先生は一体何を悩んでいたのかについて想いを馳せてみましょう。
繰り返しになりますが、LEGH自体は良性の病気です。
しかし、LEGHの一部はMDAやGASという悪性度の高い腫瘍に進展したり、混在している可能性があります。
もし悪性腫瘍が紛れていれば子宮を摘出しなければなりませんし、そうなれば安田さんは妊娠不可能となります。
第2子を望む安田さんにとってそれは非常に辛い選択です。
かといって「悪性ではない」と判断し、もしも悪性腫瘍が紛れていた場合はきわめて悪性度の高い腫瘍を放置してしまうことに他なりませんので、安田さんの命に大きく関わります。
そりゃあ岸先生も慎重になりますし、あまり呼びたくない元指導医の中熊先生にまでアドバイスを乞おうというものです。
しかし、中熊先生は岸先生の判断を無暗に後押しすることはせず、彼自身に判断を委ねました。
その結果、岸先生は安田さんの血球減少(貧血のことだと思われます)に改めて目を付け、
子宮ではなく消化器系からの出血を疑い、主治医に進言しました。
これによって家族性大腸腺腫症が発見され、大腸からの出血であることが突き止められたというわけですね。
まとめ
というわけで、『フラジャイル』よりLEGHに関する解説をお届けしました。
この回に限らず『フラジャイル』の医療描写は妥当なものばかりであり、作品自体も面白くて勉強にもなります。
医療漫画界でも指折りの作品のひとつと断言できますので、未読の方はこの機会にお手に取ってみてはいかがでしょうか。
以下、関連記事です。
『麻酔科医ハナ』もお勧めできる医療漫画のひとつです。
『JIN-仁-』は医療漫画の最高峰ですね。
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